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2012年2月

2012年2月28日 (火)

老いるとは

    此の前と言えば娘は直ぐ何年前賞味期限の切れたる様に

    老いたれば只それだけで長命とそれだけ長く病みおる身なり

    家の塀我が専用と目もくれず尾を立て歩む雄のノラ猫

矢張り季節は裏切りましたね。すこーし小春日の様な暖かい日を見せて、
今日はストーブにかじり付き、明日は雪と、震えますね。
天気予報が当たればですが、雪が怖いのは老いのせいでしょうか。
ここ数年お誕生日を迎えるたびに「長生き』と、こんな難病に生きるとは?の意味を考える見本の様な生活なのに。病気が年と共に形を変え今は介護を受け、酸素迄付けて変わらぬ生活体制を続けています。外見だけですが。本当は老いなんて、其れより健康の二文字が欲しいです。

2012年2月26日 (日)

冬の夜

    夜のしじま切り裂きはしる救急車つづきて走るは寒が強きか

    東京に空無きものと思いしが冴えし冬夜は星をちりばむ

    夜半にふと空仰ぐれば闇の底心も魂も惹かれゆく如


遅まきながら冬の息吹が。もう少しの我慢ですね。
愚痴ばかり並べて居りますが、愚痴ではどうにもなりませんね。
と言って春が来れば解決する訳ではないのですが、痛みは何か減るでしょう。
夜は早めに雨戸を閉めて貰いますので、冬は夜空を観る機会が御座居ません。
病院の最後は麻酔科で脊髄ブロックですので、どうしても休んで来ますので、
家に帰るのは真っ暗で寒いので家に飛び込む。
然し今週は手間取ってその間空を見上げてビックリ、空が身近に低く大きな星が
手に取るように沢山煌めいて居りました。どれもが一等星の様に。
家に無理に?入れられたので、今度身支度してゆっくり観ようと思って居ります。

2012年2月20日 (月)

生きる

   娘や孫に苦しむ姿見せまじと耐えいし夜半に雨音の打つ

   逢いたきと思う人皆逝きてアドレス帳の赤線ふえる

   此の怠惰全て病の隠れ蓑吾は理念などとおに捨てたり

もう直き春ですね。後一ヶ月待てば、でも今は季節を余り信用しなくなってしまいました。
未だ未だ大雪で寒く又恐ろしい思いを持ちながら日々暮らして居られる雪国の方、『こんな
大雪は始めて』と若い人手の少なくなったのを嘆きつつ雪かきをして居られるのですね。
余りに長い闘病に「もうどうでも良い』と投げやりに守って来た減塩食を破り食べたかった
たらこ等の塩辛い物を毎日、、、、今日病院で脊髄のブロック全身浮腫で注射の針を差すと
水が出ますと,其れこそ始めての事、猛注意されて帰って来ました。又始まる無塩分食、
『あーあー』と後悔して居ります。

2012年2月10日 (金)

高齢者と知り

   老人と知りて掛けくる電話なり軍歌.演歌と墓地の勧誘

   止まらぬ時に追われて日々あゆむ散りし花びら拾えぬままに

   哲学の道を歩いたあの頃はデカルトの本小脇にかかえ

昔は老いて行く母を見ながら「私は年をとらない』と漠然と考えて居りました。それなのに
60歳を過ぎたら何時の間にか加速度を付けて高齢者に、今動けないのは病気の所為と、
年のせいとは思いたく無いけれど、孫から『ばば』と呼ばれて嬉しい。長い闘病生活ですが
病気を隠れ蓑とは出来ません。電話は携帯だけと決めていてもいつまでも続くベルには
つい出てしまいます。其れが墓地の勧誘なんて。時にはお化粧品の事も『嬉しいけれどもう
年寄りですから』とやんわり。『お年寄りの方こそ大事な.......』と「もう100近いのよ』で切れる。
哲学の道は学生時代に友達と歩きました。(西田幾多郎の善の研究を讀んでおりました)
此の道は西田がこのんで歩いた道で哲学の道と名付けたと知りながら哲学を良く知らないのに
デカルトの本をアクセサリーの感覚で、今考えると可笑しくも可愛いいそんな時代があったのですね。

2012年2月 2日 (木)

のんびり生きたい

   冬籠り春の足音待ち居ればはや節分の豆煎る音が

   余生とは限りは知らぬロスタイム刻みし時をのんびり生きたし

   盆栽の白梅一輪ふくらみて籠りし吾と春を待ちおり


今年も又未曾有な年でしょうか?本当にお寒い日が続きますね。全国の大雪の状態大変だと
胸が痛くなります。雪景色は美しく大好きですが、いざ其の中で生活となると、お年寄り、
お病気をお持ちの方は辛いでしょうね。酸素を付けていながら其の状態を思い出し息が苦しいです。
人間生きて行く事はたいへんですね。思いやりの心で皆で助けあって行かなければなりませんね。
私は皆にお世話になる身、がんばりますが幾ばくかの余生のんびり生きたいです。

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