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2007年12月

2007年12月31日 (月)

素直ならず

病み臥せば己が心も捩じれたか日々悩み居り老いのさすらい
贅肉の溜まりを憂い揉みほぐす其の気力失せ浮腫み摩れり

今度の転びの痛さがこんなに、人間の心を逆立てるとは。自分自身が嫌になる。何故か一言一言に逆らいたく成る。頼んだ事が中々してもらえないと、普段は何時でも良いと、気長に待てる事がイライラして、言わなくても良い事迄言ってしまい、言い過ぎたと、反省していますが。頼みの座薬が全く効かず、お正月に「未だ来ないで欲しい」と子供みたいに願っています。
昨年は暮れから元日を挟んで10日間朝晩点滴で「今年は!」と思ったのに、痛い方が辛いです。子供達が皆の集まりを計画立てて居りますので、私も座りたいので。

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再びは来る事の無き此の年のカレンダーおろす万感胸に

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先日AyeYaiさんから、ワンちゃんにとわざわざ手作りのボーロとかわいらしいクッキーを送っていただきました。
昨日娘が犬をつれて遊びに来ましたので、みんなで楽しくいただきました。犬は「もっとボーロ食べたい!」と私の回りをウロウロ。私も口の中でゆっくり溶かしながら、幼少の頃に母と食べた味を懐かしく思い出し、ほっこりとした気持ちになれました。

Cookie1

Cookie2


2007年12月30日 (日)

一人臥して

寒々と暮れ行く庭に揺れ居りし洗濯物も色の失せ行く、
髪梳くる力もあやふし臥し居りて新しき年迎う悲しさ

転んで、たいした事無いと思って居りましたが、尾てい骨は矢張り座る生活が多いので中々治らずに痛みが酷く、新年を迎えると言うのに寝たきり状態。起きているとどうしても体重がかかるので、安静が治す一番の条件。昔スケートで転んだときは母が付いて居てくれ、若さも合ってこんなに悩みませんでしたが、今は一人、外から見えぬ痛みだけにどうしようも有りません、日が暮れて、入れる人無き洗濯ものが揺れているのも気になり乍ら、日の落ちて存在すらわから無く成りました。何も出来ぬ状態で、新年を迎えなくてはならず、悩み多い年になりそうです。(医療用の外国製のクッションだけは色々用途に合わせて求めて有るのですが、どれも駄目ですね。参りました。)

2007年12月29日 (土)

現世と来世

数十年前に逝きたる人は呼ぶ夢は現世の人現れず
見ぬ人は信じぬ目映き花畑吾は確と見あの世の境か

昔は良く、美しい花畑を見たと言う方の言葉、何故か信じませんでした。しかし首の手術の後、数日間幻覚・妄想の世界を繰り返している時、本当に、天井は輝き、色とりどりの美しい花畑をはっきりと見ました。あのとき生死の間をさまよっていたのだと思います。後で見ると、天井は黒ずんで汚い。其の中で、側にいない人が現実にいる様で大声で名前を呼び、後で気が付くと、婦長さんが、しっかりと手を握って居られ「お子さんの名前ですか?何かして欲しいことが合ったら何でもしてあげますよ。」そんな事の繰り返し。今やたらと夢で無き人や忘れていた友達や父母や弟、次々に現れ普通の会話をします。只不思議なのは、相手が私を車で連れて行くと言うのに乗らなかったり、泊って行く様に言われても、帰る。さらに不思議なのは生きて居る人が一人も現れないのです。経験なさった方多いと思いますが。

2007年12月28日 (金)

時には

逢いたきと思い半分疎ましき何故か騒がし人を避け居り
儚きや命も表の言の葉も吾が心根には何故か重たき

本当に久しく、沙汰無しの義妹から続けて二人から逢いたいと電話が有り、矢張り何時逢えるか分からぬ今、逢いたい心も有るけれど、動けぬ私を知り乍ら、具合の悪いお体に遠慮していましたが、と他人では無いのに、見え見えの言い訳。逢って病状を説明したりも面倒で其れと無く体調のいい日にと返事しました。顔も、名前も、知らないけれど、ブログの心通じたお友達の方が、どれだけ親しくお話出来るかと、改めて考えております。

2007年12月27日 (木)

吾が冬の庭

漸くに木枯らしの去りて落ち葉無く後に寂しき折れし枯れ枝
はだか木と枯れし薄の此の庭は心冬めく吾にふさわし

今年も後数日。秋草も終わり、枯れ草が侘しげに残り、木の葉も木枯らしに吹き飛ばされ冬の庭のあるがまま。
お正月には他から盆栽や、買ったシクラメンが運ばれて来ると思いますが。丁度転んで動けない私には此の寂しい、侘しい景色の庭がふさわしいのでしょう。いくら眺めていても何も変わりませんが。唯一の対象です。

2007年12月26日 (水)

虚虚実実2

病み臥して詠む歌ならば全て虚かまこと語れず心に伏せば
自らを傷つけ居りし嫉みあり気楽に生きむ薬と思い

此処の所又転んで今は寝たきり。本当の寝たきりにならない為、痛くても動かして良い所は頑張って居りますが、余りにも重なる痛みに、此処で甘えたら寝たきりになると、本能的に思いました。やっと出した賀状にも無理して、本当の悩みは書きませんでした、何か自分を欺いた生活の様に考えて居ります。気楽に此れ等を薬と思い生きるのが良いのでしょうか。ブログの方にはあまえていますが。

2007年12月25日 (火)

やっと書き終えし賀状

身の老いと病の事は避けおりて賀状書き終う重荷おりたり

一言でも、拙い字でも心を添えて書こうと書き始めた賀状。そんなに数は多く無いのですが、矢張り思いとは違って昨年より時間がかかりましたが、漸く書き終わり、元日に間に合いそうでホット肩の荷を下ろしました。
昨年頂いた方のお葉書を読み乍ら、年の所為かあちこち痛みの訴えが多く、その後のご様子をさりげなく伺って、御大事にと。然し私は書けない事ばかり、だから、老いの事も病気の事も避けて少しでも明るくと懐かしい事を書きました。此れで良いのか心の中は迷いましたが。

2007年12月24日 (月)

旅の思い出

旅先の物持ち帰る癖ありて浄土が浜の白き石撫づ
白浜の砂記念にと持ち帰り今手の平に掬いつつあり

ヘルパーさんがベットの下を掃除して下さった時「此の重い箱どうします?」と埃だらけの、思い出の箱を出してくださり、十年以上忘れていた玉手箱を開けました。私は旅先で、産地の思い出の品は必ず買い求めて来ますが、其れとは別に、其の場所の石や貝殻、木の皮、砂迄も良いのを選んで記念に持ち帰り、裏に日付けと場所をしっかりと書いて居りました。懐かしい白浜の砂を敷き詰め、浄土が浜で岩の形で平らな面に薄いピンクの縞が幾重にもあり美しい石。(知らずに持ち帰ったのですが、後で持ち帰ってはいけないと。)金華山で本当の卵の様な白い卵型の石、等々。何れ庭に治まるのでしょうが、懐かしく白い砂を手ですくって、色々の石を撫でて、再び行けぬ旅の思い出に浸っております。今は無い紅色の桜貝も沢山。

2007年12月23日 (日)

白鳥の湖

水鳥のぬくき羽毛に埋もりて吾が夢の中白鳥の舞う

以前に書いたと思いますが、テレビの宣伝を見て、布団圧縮袋を主人が買い求め、注意書き等読まずに私のかさばる羽毛布団をぺったんこにして、押し入れに。寒く成って出して貰いましたら本当の煎餅布団、いくら広げても戻らないので、電話で戻し方を伺ったら、注意書きに「羽毛布団は使用しない様に」と有りますとのこと。読みましたら確かに書いて有り、こちらの不注意、然しお日様に何回か干すと少し良く成るとのことでしたが、然しいくら陽に干しても戻りませんので、新しく買い直しました。体が不自由ですので、重い布団は駄目で。新しい羽毛布団にくるまり、此のぬくもり、ポーランドのダウン95パーセントとあり、あの美しい水鳥に感謝して自然に白鳥の湖を思い浮かべ乍ら眠りに付きました。
(動け無いので娘に面倒見て貰って良いタイミングで寝て居ます)

2007年12月22日 (土)

沈黙

沈黙の心の底に沈みいる我が心根は穏やかならず

何も出来ず口だけは達者ですが、全て人のお世話で生きて居る私には、何を言われても口返す事は出来ません。只言いたい事も言わず、一番平和なのは沈黙。納得しなくても頷き、然し口に出さずに痛みに耐えている時色々言われると、分かってもらえぬ苦しさも重なって、心の中で反発して、穏やかでは有りません。又注意して居たのですが、お風呂で転んで尾てい骨を打ってしまい,孫が湿布してくれましたが、昼間動けず、年の瀬に悲しい思いをしています。昔スケートで転んで矢張り此の痛さを知って居りますので、又一ヶ月我慢すればと思って居ります。矢張り不注意で反省して居りますが。

2007年12月21日 (金)

北京を観る(うたかたの夢?)

年長けて未だ越さねばならぬ山吾耐え居るか冬と夏山

いくら温暖化と言えど雪の冬山は厳しい。そして熱さの厳しい夏と言う山。此の二つの山を乗り越えなければ、あこがれの北京は来ません。今の一番の楽しみは、出来る事なら北京のオリンピックを見たいのです。スポーツ満載の。星野ジャパンの野球も勝って欲しいし、シンクロ、マラソン、体操等等オリンピックでなければ見られないものが沢山あります。でも私に取っては長い長い先の地点。其の前に、頑張って超えなければならない高い厳しい山がそびえたっております。皆に後押しして頂いてどうにか到達したいです。そして頂点の日の丸を見たいですね。

2007年12月20日 (木)

冬の夜空

寒厳し夜空恋しく見上ぐれば思い叶いぬ満天の星

何か此の頃寒さに雨戸を早く閉め、見たかった名月も美しいと言われて十三夜の月も見損ない、何故か夜空が恋しくて、寒さを覚悟で夜中に夜空を眺めました。思いがけず満天の星を久しぶりに見ました。明日は晴れるでしょう。
何と無く、おセンチな気持ちで、と言うより自然の美しさの一つ澄んだ夜空を、思い出した時に見ないと何時見られるか分かりませんので。自分の星(アンタレス)は分かりませんでしたが。生きて居る証、美しいと思いました。

2007年12月19日 (水)

逝く時の病名は?

急激の胸の動悸が治まりて吾が死に病何かと考ゆ

ヘルパーさんが来て予定道りに洗髪、その後足のマッサージの先生と。そして一人になって休んでいましたら、昨日の疲れか、急激な胸の動悸が起こり背中迄動いて、脈も取れず、苦しい思いをしました。余りにも苦しいので「此の侭かな」と考えました。何時も最後は一人で召されると考えて居りますので、此の侭逝けたら幸せと静かにお祈りして居りました。でも苦しさが治まり、深呼吸して。「若し私が逝く時はどんな病名かしら?まさか脊髄損傷なんて聞いた事無いから、先生が貴女は病気の問屋とおっしゃるから、適当な病名付くでしょう、」と考えておりました。痛く無く、あっと言う間に逝きたいと思い乍ら。明日看護婦さん来るので報告どうしようかと。不整脈で動悸は度々有りますが、こんなに強く長く続いたのは初めてです。地震みたいですね。家人には何も言いません。

2007年12月18日 (火)

真剣な孫の眼差し

医師の告ぐ言葉其の侭言うべきか心ためらう孫に問われて

今日病院に行ってきました。検査の結果は栄養面では問題無いのですが、脊髄からの血行障害により筋肉が固く成り、麻酔の先生も初めての症例、良く頑張っていると驚かれた。見た目には何の変わりも無いのが私には嬉しい。痛みはどの先生も、「一番楽なのは神経の元を断つ事だけど、そしたら、足も手も動かなく成る」と冗談におっしゃる。が何の方法も無く、癌の末期のモルヒネ、然し此れも効くか、副作用に耐えられるか判らない。「其の時に又考えましょう」その他色々話され、「もう充分頑張ったのだから、頑張ら無くても良いですよ、全て皆にやって貰いなさい」と首の星状節神経ブロックをして頂きました。今は胸の締め付けが楽に成ったこの神経ブロックは、昔200回もして、あまり効果が感じられなかった同じブロックと説明され驚きました。伺ったら、昔は胸の筋萎縮が現在程無かったので、分からなかっただけ。悪く成った今、効果が自覚出来ただけ。同時に手、足の暖かみが出て嬉しかったが、年齢で薬の量も多くは使えないし、頻回にはできないとのこと。家に帰ったら、一番先に、面倒を見てくれ、心配している孫が「どうだった?」と問いかけて来て、其の真剣な眼差しに先生の言われた事を告げられませんでした。

2007年12月17日 (月)

どちらも悲しい

気になりしホームの友に語りかく声虚ろにて誰かと問わむ

私も寝込む前に区の保健センター内の軽い傷害の有る人だけの体操クラブに長い事通って居りました。健康では無いけれど特に不自由は無く、終わってからお食事やおしゃべりを楽しんで。其の中のお一人が、独身で身寄りも無く、足の股関節が悪く、手術を拒否なさり痛さを我慢して居られたのですが、年とともに不自由に成られて、ホームに入られました。つい今年のはじめ迄、お電話でお元気に話合い、寂しい時は夜でも電話が有りました。此のごろ気になり乍らも疎遠になって居りましたので、お電話しましたら、本人が出られたのですが様子がおかしく、私がいくら呼びかけても判らないとのことでした。ホームの人がかわりに出られたので、「お話通じないのですが、どうかなさいましたか?」と伺ったら「春頃から少し痴ほうに」と。言葉も有りませんでした。体は健康らしいのですが。私は痛みに耐えての毎日。どちらも悲しいですね。

2007年12月16日 (日)

全て冬

散る花も飛ぶ虫も無き寒き庭霞む眼に今日も暮れ行く

あたり一面すっかり冬に覆われて、私の楽しみの庭も冷たい風にわずかに残る病葉が、今にも落ちそうに揺られています。動くものは何も無い。パソコンのせいか、目がかすみ、何かの息吹が有るやも知れぬと、じっと眺めておりましたが、何時の間にか寂しく今日も暮れていきました。 私を 待っているのは月曜日の通院。

2007年12月15日 (土)

新風に乗って

締め切りて淀みし空気取りかえむ開きし窓に新風と欅葉

すっかり冬の様相、冷たい木枯らしが舞って居ます。寒さに弱い私は、ストーブを付けっぱなしで、当然の様に窓は閉めた侭。清浄機が付けてあっても、部屋の空気は淀んで汚く、自分でも気になり思いきって窓を開け放しました。とたんに新しい美味しい風が飛び込んで来ました。もう良いかなと閉め様としたら、欅の枯れ葉が舞い込んで居ました。本当に新しい風に入れ変わったと嬉しく、其の素敵な旅人の欅の葉を聖書のしおりにしました。

2007年12月14日 (金)

漢字  偽

善き事をするは難し悪しき事せぬはなお、なお難しきかな

今年の漢字「偽」を見て本当に情けなく成りました。本当だからこそ。
一日一善をモットーに、よく子供達に善悪についてのお説教をしました。何でも良いから人の喜ぶ事、為になる事をする様に、人の嫌がる事や悪い事、困る事はしない様にと。善い事をするのも大変なことだと思い乍ら、でも悪い事だけはしない様に、自分の良心に恥じる事はしない様に、此の方が楽な様で本当は大変な事だと思いつつ。
其れが今更言う迄も無い事ですが、毎日の様にお偉方が揃って頭を下げ、今は国会迄も。企業でも知識と教養が有る方達が、悪いと知りつつ長い事繰り返して来て。今の信用ならない社会。此れでは子供達をどのように教育して行くのか。大人の教育が先みたいですね。多いに反省しましょう。二度と本当に繰り返さない様に。人間は弱いから心配です。

2007年12月13日 (木)

せめて心を

放たれし犬の如くに走りたし行く当ても無き冬野なれども

今年も終わりに近づきました。矢張り一年はあまりにも色々あって長く感じました。毎日が日曜日の様な私ですけれど、心は何時も何かに縛り付けられて、自由では有りません。毎日、皆のお世話になり、月曜はヘルパーさんと
マッサージの先生。火曜日は下半身のマッサージの先生、水曜日は看護婦さん健康管理と注射、木曜日は全身マッサージの先生、金曜日は予備の日、土曜日は麻酔の先生の全身注射。かろうじて日曜日だけフリー。
生きて行くためのお手当を受けて居ます。然し楽しいと思う事は此の中に有りません。時間的には短いのですが。後は一人で身の回りの事に頑張って居ります。そんな中で幾つかの通院が有り。何時も何かに追われて居り、心の自由を求めて籠りきりの生活の中から、解き放され、思い切り何処でも良いから走りたい、寒い冬の中でも。

2007年12月12日 (水)

寂しさと議員宿舎の怒り

病院の憩いの庭の払われて高きマンション着着と建つ

大きい由緒と信用ある病院は遠くからも多くの患者さんが集まります。私も入院、通院の度に其処に有る広い憩いの庭の木々、花、芝生、そして何より沢山の桜の木が多く、季節毎に心安らぐ場所でした。其の全てが取り払われ、マンションが建つと聞いた時はまさかと信じられませんでした。でも今の病棟の老朽化で、既に後ろの方から、新しく立て直されているそうです。医療機器も新鋭の装置に変わり、莫大なお金が必要、土地を売る以外無いのだとと聞かされ納得しました。完成は私の生きて居る間には間に合いませんが、入り口の一番良い場所では行く度に十何階かの大きなマンションが着々と完成に近づいています。今思う、こんなに大事な病院にお金がなく、赤坂の一等地に必要の無い議員宿舎をどうしても建てると言う矛盾に心から怒りを覚えます。

2007年12月11日 (火)

陽を集め

陽を集め未だ赤々とサルビアは今年も冬を強かに越すか

もう流石に華やかに咲き継いだ我家の庭の花々も影を潜めてしまいました。でも其の中に予感道り、サルビアが、陽射しを一身に集めて衰えも無く、蕾みも沢山付けて赤々と未だ盛りと咲いています。此の分だと今年も、枯れしかに見えて、昨年の様に年を越し春一番に新しい新芽を出してくれると思います。今年の春感動した思い、もう一度味わえるかも知れません。私も此の侭枯れ果てる様な自信無い冬ですが、サルビアに元気付けられた思いで、がんばります。

2007年12月10日 (月)

色添える

静もれる庭に緑の五葉松色添うごとく南天の赤

冬枯れてもみじの紅葉も枯れ落ちて静かな庭に、年数はたっても大きくならない緑濃き五葉松。隣に南天の朱実が赤々と陽に映えて美しい。もうお正月を庭が先取りしたようです。南天は、亡き友が難病の私に「難を転ず」と植えて呉れたのです。其の友が先に逝き、毎年朱実を付ける度に物悲しい懐かしさに友を思い出します。

2007年12月 9日 (日)

はやクリスマス

クリスマスイルミネーション輝きて風音さえもジングルベルか

テレビでは、あちこちに作られた大きなクリスマスのイルミネーションが話題を呼んで居ます。本物のツリーも立てられて。街中はさぞにぎやかな事と思います。日本なのに、お正月より活気があり、若い方やお子様はプレゼントの事で夢を持ち楽しい事と思います、私も孫達のおこぼれでケーキを少しいただきます。大人はお正月の支度で此れ又大変ですが、今の私は傍観者。でも何かと年末は気を遣う事が多いですが。生き甲斐と思いましょう。

2007年12月 8日 (土)

何が欲しい?

今更に欲しき物は無けれどもあえて言うなら健康二文字

孫に「クリスマスのプレゼント何が欲しい?」ときかれて、考えました。私の食べたい物は孫のお小遣いでは買えない。「ばばは何も欲しい物はないねー」「何にも?」と聞かれ思わず「一番欲しいのは健康」と答えてしまいました。困った顔の孫、「神様に頂くから心配しないで。」と「貴女は何が欲しい?」「プレステスリー」「お年玉上げるから、其れで買ったら?」と無いものねだりした自分が悪かったと心が痛みました。

2007年12月 7日 (金)

寒い雲の上は

どんよりと薄墨色に垂れし雲其の雲の上青空か雪か

このところ本格的な冬の寒い気温、周りには雪の訪れが伝えられています。小春日和はもう過去の陽気。
今日もストーブ温度を上げ付けたまま。温度の低いのは絶食より辛いお仕置き。どんよりとした雲に覆われた空を眺め乍ら、此の雲の上は晴れた青空が控えているのか、または冷たい雪の白さか、隙間が有れば覗いてみたい所だが。孫達は此処数年見た事も無い雪の訪れを、心待ちにしている様です。私もどうせ寒いなら、美しい雪景色を見たいと心のどこかで待っています。

2007年12月 6日 (木)

賀状かきつつ

プリントの終えし賀状を前にして喪中多く名をたしかめる

一言を添えて、心を込めて書き出しました。体調が悪く、此れが最後かなと思いつつ。今年は春から親友を亡くし、私も入退院を繰り返し、厳しい冬を迎えて、賀状を絞り親しい方にと少なくした所に、喪中が多く、数を間違えない様にと、数え直しております。書き始めた昨日又喪中のお葉書。何か寂しく、じっと読み乍ら、気力を無くしました。せめて此の賀状を喜んで頂ける様に、明るく書こうと思います。元日配達に間に合いますか心配ですが。

2007年12月 5日 (水)

頑張って良かった

娘が入れし一口のお茶美味しけり疲れて帰る吾を知りてか

昨日見た野球の教えでしょうか、諦めてはいけないと。実は7月入院して前歯四本骨迄膿みだらけのを抜き骨を削って頂き大分縫って、医科歯科大にお手紙を書いて頂きました。其の後をすぐ治療をする様にとの事でしたが、猛暑で体調を崩し色々病気をしましたので、生死に関わる病状で無いので、他の医師も歯の方は一番後回しで、痛いのを我慢して、何時もの流動食さえ侭なら無く成って居りました。何しろお茶の水までタクシーで片道1時以上かかり、体調も崩した侭ですので、行けずにいました。最後迄此の侭かなと本当に諦めて居りました。でも痛さが加わり、其処えあの野球で、諦めずもう一度頑張ろうと自分に鞭打って、昨日急患と言う形を先生がとって下さり、午後予約をして行って来ました。今日からタクシーの料金が上がったのに。先生も私の不自由を理解して下さり、私に時間をかけて出来るだけの事をして下さり、前歯も全部揃い、笑える様に成りました。口の中迄脊髄損傷で、末梢神経がやられているそうで他の病院では出来ません。此れからも未だ大きな治療が続くのですが、今度は体調を整えて、最後迄頑張ろうと思っています。疲れて、寒い中帰りましたら、娘が美味しくお茶を入れて呉れ、とても嬉しく感じました。良い回りの人々に恵まれて幸せです。苦しいけれど。

2007年12月 4日 (火)

感無量 諦めてはいけない

最後迄頑張る事の素晴らしさジャパン野球を目の当たり見て

どうしても見たいと思っていた、星野ジャパンの野球を3日間夢中で見ました。一敗も許せぬ究極の試合を。
「意思有る所に道あり」本当に監督初め、コーチ、選手、スタッフ、そして国民の全てが一丸になり、其の中に私も入れて頂いて。北京は無理かもしれないけれど、此の試合だけは見たかったので。でも私は、途中不利になり不安を持つと何か諦めてしまい、でも結果、此の勝利に立ち会わせて頂き、感激で涙が出ました。最後迄諦めてはいけない。不利な時こそ、持てる力を出し切らなければならぬ事。其の結果は必ず勝利を呼ぶ事を知りました。日本が勝って良かった。北京への道は開かれました。同時にすぐ諦める弱虫の私を反省しました。精神的に弱いのを。

2007年12月 3日 (月)

古きアルバム

長き事撮り溜めおりしアルバムを懐かしく見る吾子は今母
余りにも重きアルバム手に余り今開き見る乙女の吾あり

撮るにはとったが、昔のアルバムは張れば張るほど重く成り、何時かと思い乍らも、もう見られないと諦めて居りましたが、孫が棚の上方から下ろしてくれ、久しぶりに懐かしく開き始めました。昔の結婚前の家族写真には、何とも純情な乙女の私の笑顔が有りました。「可愛いい」と孫にいわれいい気に成りました。此の頃に帰りたいと。そして今度は私の家族写真。幼い目の大きな可愛い女の子、其の娘は今二人の母親。「此れ、まま?」又孫が「可愛いい」と。そして今度は孫が2歳の頃の写真、私に抱かれてピースに思わず「可愛いい!」と同時に顔を合わせてにっこり。写真はいいですね。今はカメラむけられると逃げますが。

2007年12月 2日 (日)

弱音を吐かせて下さい

余りにも長き痛みに耐え居れば精神力も理性もきかぬ
極限の痛みに効かぬ精神力歯を噛み締めて目を閉じるのみ
見た目には五体満足其の影にたえず痛みと戦いおりぬ
脊髄の神経細胞回復の朗報聞けど時既遅し
耐えて来し此の病にも見放され日々ごまかしの戯言書きぬ
人知れず流す涙の此のからき思い何時迄味わい居るか
パソコンのマウス痛みに持ちあぐねたった一つの望み奪うか
病名は只一つなり全身の苦しみ持ちて今日も生きおり
苦しみを外に出すまじ耐えなむと誓えど掟今日は破れり
麻酔では取れぬ痛みの多くなり楽に成りたし本当の楽

お見苦しい弱音を吐き出しました。毎日書く歌はこんな歌ばかり。ご免なさい。
脊髄損傷はこんなに怖い病気です。筋肉も萎縮し呼吸も苦しい。
何の術も無く、でも最後迄人間の尊厳を持って前向きに生きます。

2007年12月 1日 (土)

賀状、昨年、今年

(昨年)  年賀状書きつつ思う空しさは病持ちいて目出度しと書く
(今年) パソコンで表も裏も活字のみ意義無き賀状又やり取りか(臍曲り)

今年は書く事の無いと思って居りました賀状、どうやら書く事が出来ます。と言うより書かなければなりません。昨年はそれでも、賀状書く事に心が入って居りました。でも元日に頂いた賀状は、ほんの数人を除いて殆どパソコンで表も裏も活字が綺麗に並んで、生存の証か、お義理か?心を感じませんでした。自筆で一言の添え書きもなく。で私迄、何の為にこんな思いで痛い手で賀状を書くのか考えてしまいました。私は時間を掛けても一年の思いや、報告やご挨拶等必ず一言書き添えます。顔が見える様に。只の印刷物を頂いても嬉しく有りませんね。

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