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2007年9月

2007年9月30日 (日)

生きて居る証拠

堪え難き痛みの出でし時にこそああ未だ吾の生きてる証拠

天候の変わる度に痛さに耐えています。然し今年の気象の変わり様は異常で、辛いです。
昨日は真夏の様な暑さ、其れが一夜にして11月の気温とか。言葉も無く、じっと痛みに耐えて、歯を食いしばって居ります。こんな痛みの辛い事も珍しく。思わず「痛いっ」と口から出てしまいました。
でも其の時「痛いと言う事は私が未だ生きて居る証拠、死んだら此の痛さが無いのだから」と思う事にいたしました。
生きると言う事は大変な事ですね。感謝しなければ成りません。
(29日プレッシャーの掛かる試合、レッドソックスの松坂地区優勝出来て良かったですね。)

2007年9月29日 (土)

夏と秋同居

涼風を部屋に入れむと開けたれば暑き風入り目に曼珠沙華

もう開ければ涼しい風が入って来ると、ガラス戸を全部開けて貰いました。ところが何と暑いむっとする風が入り込みお日様はカンカン、開けた孫は2階の自分の部屋に戻り誰もいなくなり、今度は閉めてもらう様に電話を掛け、おりてくる間庭を眺めていましたら、お彼岸に咲いた曼珠沙華が数が増えて、真っ赤で美しい。何か此れからガラス戸を閉めてクーラーを入れるのに、庭は秋の彼岸花が盛り。戸惑っている事と思います。私の体と同じに。

2007年9月28日 (金)

悪戦苦闘

やむを得ず掃除機掛けて此の重さ我が身どころか侭ならぬ管

筋力が萎縮してから掃除機は動かせ無くなり、目をつぶって月に一遍くらい主人に掃除機を掛けてもらい、あとはころころローラで身の回りのごみは取って居りました。今はヘルパーさんがお掃除して下さり気持ちいいです。
昨日自分でフードカッター食を作り乍ら、淡白質の粉(SAVAS)を入れる時手元が狂いスプーン山盛り床等にこぼして仕舞いました。拭き取る事も出きず放っても置かれず、一人なので車椅子で掃除機を引き出し、どうにか組み立てましたが、あれほど毎日使っていたのに、重くて自由に扱えない。特に管が蛇みたいに絡まり邪魔で、凄く手こずりました。悪戦苦闘で方付けましたが、頑張った分後で体全体動けなくなってしまいました。失敗は成功の元なんて言って居られません。此れから気をつけます。

2007年9月27日 (木)

老いたれば

クラス会有る度ごとに訃報聞く老いの一年平安のなし

毎年私は出席出来ませんが、女学校、大学とクラス会が有る度に、どちらも会の様子や写真、寄せ書きなど送って下さり、又は帰りに寄って下さいます。楽しい様子は良いけれど、此のごろは体の悪い方の事、そして必ずと言うくらいお友達の訃報を聞かされます。こんなに何時駄目かと皆様心配して下さる私が、未だ頑張っていますのに、お元気だったお友達が亡くなられた事を知らされ、驚きと悲しみ、お冥福を祈ることだけ。矢張り老いを認めざるを得ません。考えた事も有りませんが、一年間無事で有る事は大変な事。感謝しなければと思います。痛さは辛いけれど。

2007年9月26日 (水)

諦めど

人知れず持つ病をば悔やみ居り己が全てを奪いし故に

いくら努力しても、我慢しても、薄らぐ事も、現状維持も無く、確実に日々少しずつ、何か?に向い進行する病。
こんなに医学が進んでいて、朗報が伝わって来るのに、脊髄損傷には「今研究中」の答えばかり。
奇跡を信じて、私の経験上良いと思う事は惜しみなく、恐れず、実行して居り、先生にももう無理な要求は致しません。そう、諦めて居りますが、弱い人間の事、陰で人知れず病を嘆いております。其の無駄を知りつつ。人生の実りを収穫する時に、只何事も我慢の一言。暖かい人の情け愛情に安らぎ、と救いに感謝し乍ら生き甲斐を求めています。四季の移り変わりを平等に頂いて。

2007年9月25日 (火)

声は元気

声のみは変わらぬらしく電話にてお元気そうで安心したと

久しぶりにお友達からお電話があり、「如何?心配でお電話したの」と言われ「今年の異常な暑さには参ったけれど、やっと落ち着いて大丈夫」と其の後の事など色々お話して、嬉しくてテンションが上がり楽しく笑いました。
病気の事は人には判って頂けないため細かい事は言いませんので、「車椅子押してあげるから、外でお食事しない?」と言ってくださいました。「行きたいけれど今は予定立てられないから」とそれとなくお断り致しましたが、行けたらいいな、と思いました。「お声聞いていると凄くお元気で安心したわ」と言われお電話切りましたが、一寸さみしい気がしました。
暑さ寒さも彼岸迄と言いますが、お彼岸を過ぎてやっと涼しくなりましたね。今の所?

2007年9月24日 (月)

豆絞り

秋祭り娘連れ来し犬の首昔懐かし豆絞り巻き

お彼岸でのんびり寝ていたら、娘の犬が飛び込んで来て、びっくりして見ましたら何と、首に昔懐かしい豆絞りの手ぬぐいが、斜めに結んで有りました。柴犬ですので日本の豆絞りが違和感無く、とてもおしゃれで可愛く思いました。後から入ってきた娘に、「何これ?」と聞きましたら「今鎮守さまの秋祭りに行って来たの」とのこと。「珍しいわね今時豆絞りなんて」と聞きましたら「町会で買ったの」と。
何を巻き付けられているのか犬自身は知らないで、皆から「可愛いい!」と言われて喜んでいました。秋祭りには暫く行った事無いので、あの屋台、お神楽、綿飴、など懐かしく思いだしました。
幾つに成っても,日本人あの独特な雰囲気いいですね。そして豆絞りの手ぬぐいも。

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2007年9月23日 (日)

彼の岸の人に逢わむ

彼の岸の人に逢わむと待つ思い知るか緋色の彼岸花咲く

今日はお彼岸。
私の心許して色々お話あえる方、父母を含めて多勢彼の岸に行ってしまいました。矢張り逢いたくてたまら無い日があります。夢の中で大声で呼び続ける事もあります。でも此れだけは叶わぬこと。
お彼岸には岸辺に来て逢える日とか。心の中で思い切り話し合いたいと今日の日を心待ちにしていたのを知っていたのか、赤い血をたぎらせて、真っ赤に彼岸花が咲いてくれました。心の中でご冥福を祈りつつ、お父さん、お母さん、そして色々の方達のお顔が浮かんで参ります。悲しいですね。(御陰さまでブログ今日で一年に成りました、読んで下さった方、本当に有難うございます。)

2007年9月22日 (土)

医師の口

MRIじっと見つめる医師の口中々開かず不安持ち待つ

昨年、いつも通っている病院とは違う病院の麻酔科の特別ブロックで、MRIを摂って受ける治療の効果が薄い事を知らされたものの、少しでもと希望を持って受けてみましたが、矢張り効果は無くおっしゃった通りデメリットだけ残りました。
其の時の説明で悪く成っている事は大体判って居りましたが、新しい症状が出ましたので、いつもの病院の先生が、「もう何年もMRIを摂ってないので摂りましょう」とおっしゃいました。結果はすぐ判って説明をうけました。然し映像をじっと見つめた侭、中々何もおっしゃらないので段々不安に成りました。「先生おっしゃる通りに致しますから、本当の事を、おっしゃって下さい」と常日頃伝えてありますので、余計に心配で。
やおら口を開いた先生「何か薬で良い方法をと考えましたが、此れを見る限り前より状態が悪いので、後で他の科の先生に見て頂いて相談します」と。色々説明を受け私にも悪い所が判りました。覚悟はして居りましたが、最後はあの記憶喪失になる、ショック療法しか無いのかな、とも思いましたが、「絶対に本当に自然に記憶が無くなる迄頑張ろう」と心にきめました。何とか未だ乗り越えそうな気持ちで、神様にお祈りいたしました。

2007年9月21日 (金)

隣に住む人

数年も前から隣りに移り来し住む人の顔吾未だ知らず

もう5〜6年に成るでしょうか。前が小さい公園で桜が綺麗だからとお隣にこして来られた方、奥様はご挨拶に来て下さり色々お話致しましたが、私は殆ど外に出ませんし、お家族3人との事ですが奥様もお仕事して居られ、お嬢様は大学生とかでお会いすることがありません。「今空き巣が多発して居りますから、お出かけの時は、鍵をかけ、お隣に声を掛けて下さい」と区のアナウンスがありますが、お互い声掛ける事無く、どんな方が住んでいらっしゃるのかも判りません。
先日本当にお隣に空き巣が入り、警察の方から「何か気づきませんでしたか?」と聞かれましたが判りませんでした。前から住んでいらっしゃる方は勿論親しくお話致しますが、新しい方はお隣に限らずご近所でも全く知りません。都会とは寂しい所ですね。移り変わりが多いので。

2007年9月20日 (木)

捨てる人集める人

整理して物捨て居りし傍らで夫は通販申し込み居り

余りにも長い間に色々始末に困る様な私物が増え、何時どうなるか判らないので残された人が困らない様に、惜しいと思いつつも少しづつ整理をしています。
捨てている私の傍らで物を捨てる事の出来ない主人、納戸に今は使わないビデオが200位、同じ物を買ったのを忘れて又申し込み、使わずに邪魔だと納戸にぎっしり。雨の日に散歩出来ないからと、ウオーキングマシンや足で踏んで力を付ける器具、あんま機、演歌や軍歌のCDや色々の観光地のビデオなど手当たり次第にカタログを見乍ら買い込んで積んであるが、結局見ないし、使わずにただ増えるだけ。包丁など使いもしないのに、良いと思うものは沢山買い込んでしまうので、「良く切れる包丁3種位にしたら?」と言ったら「俺が使うんだ」と怒られました。
私が主婦の座をおりてから主人が財布を握っているので、後先考えず買い続けており、人生一生で無く二生、三生いきても使いきれないと思います。「俺は100迄生きる」と健康にも気をつけて居りますが。端で見ると子供が玩具集めるみたい。

2007年9月19日 (水)

定まらぬ天候

天候の定まらぬ日々体調も日々変わりおり気概のみ生く

此れも地球温暖化の所為でしょうか。このところ、真夏、梅雨、秋、どの季節だか判らない気候が続き、出かけるのも、当たり、外れ、の天気。良いと「よーし頑張ろう」と思うが、急に変わると「もう駄目」と言う体調。脊髄損傷は天候に左右される代表的な病気です。だから私はお天気女と自負しております。本当は辛いのですが、と言ってどうする事も出来ません。只やるべき事を頑張ってこなし、気概のみにて生きています。早く天候が安定して欲しいです。 (お病気の方は皆耐えて居られるのでしょうね。お互い頑張りましょう。)

2007年9月18日 (火)

一日のオアシス

選ばれし一日娘に連れられて初秋の自然心行く迄


0709park1日々籠り居る私の愚痴をブログで見たのか、下の娘夫婦が日曜日に急に車で迎えに来て「ママ、こんないい日は無いから散歩に行こう」と。主人も旅行、孫もゼミの旅行で一人寝ている私を「痛いから」と言うのに「何処に居ても痛いのでしょう、病院に行けるのだから、皆私達が面倒見るから」と上の娘も打ち合わせてあり、全て用意してもらい車に乗せられ連れられました。
散歩なら近くの公園と思っていましたが、高速に乗り、東京の景色の余りの変わり様に驚いている間に何と着いた所は水元公園でした。東京生まれで何十年も住みながら、一度は行きたいと思っていたのに行けなかった公園です。
想像した事もないスケールの大きな森林、草原、何処にもビルなど見えず、隅田川の支流なのか大きな川で釣りをしている人もあり、林の木立は手入れはしてあるのでしょうが自然の侭。車椅子を押している娘の事も、この痛みさえも忘れて、只感動、あっち、こっちと思わず指差して、見える物は全て見たいと。然し終わりの無い道、今は見られない雑草も生い茂り、見渡す限り続く蓮池の側で一休み、見上げる空は真っ青で吸い込まれそう。昨日八岳にのぼって来た上の娘も「此処は最高、此処にお弁当もって皆で来よう」と、広いので彼女木々の間を付かず離れず。犬連れの彼は、最後は駐車場で会えるからと犬の気の侭に。一番感動したのは両脇がぎっしりと、風になびく蘆に覆われた、今では田舎でも見られない土の1,5メートル位のあぜ道。薄にも似た花を付けた蘆の花を秋らしく感じ乍ら通った事でした。「今度はママの作ったおにぎり、唐揚げなど持ってもう一度来たいね」と行って呉れました。此れでも公園の一部しか歩いていないからと、全部歩いたら一日では無理だとも。七草を探しましたが見当たらず、コスモス、サルスベリの花がきれいでした、遅く成って帰り道、澄んだ空にくっきりと三ケ月が美しく、左には大きな金星も姿を現し、久しく見た事も無い澄んだ夜空でした。もう再びは見られないでしょう、最後まで面倒を見て寝間着に着せ替えて帰りました。
一人ぽっちの寂しさが無くなりました。矢張り娘達の優しさに感謝いたしました。晩秋の美しさが忍ばれます。独歩の武蔵野の面影忍ばれるでしょう。皆様におすすめしたいです。ベットで痛みがでました。自分の足で歩きたかった。


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2007年9月17日 (月)

母の日が敬老の日に

毎日が日曜なりし何時しらに月日は進み敬老の日来る

通院以外何もする事の無い私は毎日が日曜日、カレンダーも関係ない生活。決して寝てばかり居る訳ではありませんが、自由な時間を持て余しています。こんな私を休む事無く過ぎ行く月日は置いてけぼり。暑い、台風とか言っている間に今日は敬老の日とか。今迄は、娘達も母である私を、一応母の日にカーネーションなど呉れ、私もいい気分でいました。それが何時の間にか、母の日は無くなり、孫と一緒に「ばば敬老の日おめでとう」となりました。
毎日何もしないでも、月日は休み無く続き平等に私にも敬老の日がきました。「ばばご苦労様、」と言ってくれるのは孫だけ。「感謝されていないんじゃ」と言ったら「勤労感謝の日じゃ無いもの」と「でも敬っているから」とどお言う事?それでもお誕生日はケーキに並べきれない数のローソクを立てて「いっその事早く丁度になって」と幾つ迄生きたら丁度か知らないが、そしたらオリンピック夏も冬もみられます。でも此の痛さ我慢するのは沢山。

2007年9月16日 (日)

体内脂肪

内蔵が体内脂肪に守られて運動不足の代名詞なり

今の時代みんなヘルシーにしかもダイエットに気をつける時代。美味しいものをお腹一杯食べて理想の体型を保とうとは無理な話。私も車椅子になってから自慢の体型が崩れ胴回りが太く成り、医師に「私は流動食で、カロリーは1200位なのにどうしてお腹が太るのですか?」と伺ったら、「貴女は食事は少ないけれど、果物のジュースなど摂っているでしょう?其れに一番の理由は運動が出来ない事じゃないかな」とおっしゃられて気がつきました。歩かなく成ってから太った事。其れに脂肪が皆内蔵に着きどうしようも無い事も。いくら座ったままラジオ体操やっても、脊髄が駄目ではどうしようもない。悔しいけれど諦め果汁は飲まない。甘いものは基本的に嫌いなので我慢と言う事は無いけれど。でも健康な方が食べて太るのは、運動と言う努力が足りないと思います。私だったら頑張るのに。そっとお腹を揉んで考えました。動きたいけれど動けないからだを。

2007年9月15日 (土)

何処迄も付いて来る

過去は過去現在未来と考えて他は流せても病離れず

長年生きて参りますと、忘れたい事や悔やまれる事も多いですが、何時迄も過去を引き摺って生きたくはありません。「明日があるさ」と、嫌な事は水に流して、良い思い出だけを心に残し、新しい未来に夢を託して日々貪欲に生きて行こうと思いますが、此の病だけは私からはなれません。仲良くとは行きませんが、これ以上重荷にならないで欲しいです。

2007年9月14日 (金)

悲しい流動食

友からの選びぬかれし梨届き形を愛でてカッターにかけむ

私が梨の幸水が大好きなのを知っているお友達から、毎年産地から送っていただき、今年も着きました。
瑞々しい滴るような果汁、あの歯触りと甘さが忘れられません。然し今の私は歯が噛めず、全て流動食です。
折角の形の良いずっしりと重い梨を手の平にのせ、形を愛で乍ら、感謝しつつ、カッターに掛け果汁を美味しく頂きました。勿体ない思いで。自然の味の美味しさを味わいつつ。
まさか歯迄脊髄の影響を受けるとは、考えませんでした。此れも歯医者さんのミスで、治療中に金冠を外すのに奥歯の根を二つに割ってしまいました。痛み薬の飲めない私は、其れが致命傷で、国立の病院に入院して抜歯、其れが悪い歯でなく、隣が悪く、又抜歯。そして其の後、何ヶ月経っても、肉があがらず、口腔外科でなく専門の病院にと、先生がお手紙を書いて下さり、東京医科歯科大へタクシーで往復2時間かけて通いましたが、抜いた跡の歯肉が付かず、骨に薄い皮が被さった状態で普通の入れ歯は出来ません。「難しい状態ですが、何とかやってみましょう」と優しい先生、一生懸命治療して下さり、下の自分の歯が突き刺す痛みを取って下さり、此れからも通院して良い状態にして頂くのですが、何しろ遠く、その間に体調を崩し入院を繰り返して居り、歯は後回しでもう何年も流動食です。矢張り美味しいものが食べたいです。固形の、自分の歯でかんで。贅沢な願いでしょうか?

2007年9月13日 (木)

何時の日か

今日の日を耐えれば明日は良き事の有るやも知れぬ晴れぬ空見て

日々鬱陶しい空、秋の長雨と言うが毎日心の中も曇りがち。痛みはお天気の所為も有りますが、心が晴れません。
このところ、手の指の関節の血管が切れやすく、紫の指で車椅子を動かし、身の回りの事をやっております。
何日かで吸収しますが、又別の指にと、血管が弱く成っているのが判ります、孫に心配かけたく無いので、見えない様にしていますが、目ざとく見つけ手伝ってくれるので可哀想で。ビタミンE以外何を摂れば良いかな?とかんがえています。会話はスポーツ、政治、出来事など明るくしていますが。何時も何かがストレスに成って邪魔してます。

2007年9月12日 (水)

破れたる羽根擦り合わせ鈴虫の夏を鳴き終う命悲しき

矢張り秋ですね。この前頂いて大事に育てていました鈴虫の一匹が、破れた羽根を一生懸命擦りあわせ乍ら、皆に合わせて鳴いて居りましたが、とうとう死んでしまいました。あとの5匹も一生懸命鳴いて居りますが、間隔が長く心なしか寂しげに聞こえます。私の感傷でしょうか。頂いたときがピークだったのでしょう。鈴虫は秋に鳴く虫だと思って居りましたが夏なのですね。たかが虫一匹と思われますが、可哀想で成りません。庭に埋めてあげました。庭のコオロギは未だ元気で鳴いておりますが。残っている鈴虫は最後迄大事にみとります。最後まで一生懸命鳴いていた鈴虫の命。自分と重ねて何か悲しいです。

2007年9月11日 (火)

言を譲りて

諍いの拘りとけず胸痛む吾が心知らず鼻歌の夫

納得出来ずに私の意見を言いましたら「自分の頭の蠅も追えないくせに余計な事言うな」此の一言がぐさっと喉に骨が刺さったごとく痛みが取れません。確かに今の私は何も出来ません。病院にも主人に連れて行ってもらいます。それだけに此の一言で何も言えず只黙して自分の言いたい事を、納得出来ぬまま終わり心の中に拘りとして残りました。思いやりの無い悲しい言葉として。主人は私の傷付いた事など知らでか、鼻歌を歌い乍ら麻雀ゲームを始めました。こんなに動けぬ自分が悲しいと思った事は有りません。何時もの事なのですが。(医療ミスなのに。)

2007年9月10日 (月)

老いたらなお頑固

老いたれば亭主関白治まると思い叶わず会話乏しき

何十年も自己中の主人と暮らしてきました。主人が黒と言えば黒、白と言えば白で、聞き流し自分で調節して来ました。自分の意に反する事は全て正しく無い。然し娘も嫁ぎ、定年になり二人の生活、此れから落ち付いた熟年の生活が始る時。人間歳をとれば、懐も深く、相手の事を思いやる優しさが出ると思っていましたが、相変わらず亭主関白、其の上頑固に成り、私も昔の様に白いものを黒では通せなくなりました、生活に関わるので。
娘達曰く「ママの教育が悪かったのよ」、周りの人も「昭和一桁の男性は仕方無い、今更変えようとしても無理よ」と。健康なら我慢できますが、だから主人は当てに出来ません。反対の意見を言えば怒られるので、其れに価値観、趣味が違うので、どうしても会話がしっくり行きません。本人は一人天下でいます。皆、面倒くさい為反対しないので。昨夜も急に「明日朝旅行に行くから。」と孫を呼び「お小遣い上げるから植木に水を忘れずに」と、誰も行き先を聞かなかったが下の孫が「じじ何処へ行くの?」と聞いたら「松島」で終わり。健康だから良いけれど、私が先に逝き病気をしたらどんなに寂しいでしょう。自分は100歳まで生きると言っていますが。

2007年9月 9日 (日)

家並増えれど

大き家二軒三件と立て替えて家並増えれど緑は減りおり

此の近くは昔から大きな家ばかりの住宅街でした。私の家も実家の敷地に庭を分けてもらい、家をたてました。其の実家も、両親が亡くなり弟は土地を売り、他に移りました。田舎ではあり得ない事ですが。此の近くも何時の間にか、大きなお庭のある家は息子、娘さんの家が建ちそして地主さんは建て売りに、庭の無いモダンな家が立ち並び、あっと言う間に知らない名字の家がふえました。緑の多い住宅地で柿の木、桜が大抵あり、秋に成ると野鳥が沢山飛んできましたが、今は庭のある家が少なく,玄関の前に花鉢を綺麗に並べてありますが。私の家も立て替えて庭は小さく成り、木だけは残しましたので、大きく成り空間が無くなってしまいましたが、四季の移り変わりは楽しみです。都会では仕方の無い事なのですね。一軒の家の跡に大きなマンションが立つ時代ですから。緑は大切ですが。

2007年9月 8日 (土)

のろまな台風

夜深く強き嵐の過ぎ行けば待ちくたびれてみんな熟睡

何年ぶりかの東京に強い嵐が通り過ぎました。予報で風、雨、共に強いから気を付ける様にと一日中放送され、早くから出来る限りの準備をし入浴も早めに済ませました。どのくらいの台風かと心配で、見届け様と待って居りましたが、夜中に成ってもたいした事が無さそうなので、又東京は逸れるでしょうと皆眠りに付きました。
そして朝起きたら静かで、庭を見ても蜜柑の木も其の侭、何も変わって居りません。矢張り東京は逸れたらしいと話していて、テレビを見ていたら夜中に強い風雨が通ったとの事。時速20キロの早さだったそうです。被害のあった方には申し訳ありません。

2007年9月 7日 (金)

いざとなれば女は強し

命綱付けて屋根より木を切りし強き台風雨風のなか

今久し振りに、東京に台風が直撃しつつあります。だいたい準備してあり後は来てからで無いと判りません。
台風で「あの時は考えられない、危ない事を女一人で良くやった」と思い出している事があります。
此の家を立て替える前もう何十年前の事ですが、東京にもの凄い台風が来て、昼ごろ主人は仕事で「電車が止まって帰れない」と連絡がありました。
其の頃庭の泰山木が大きく成り2階より高く大木になっていて、其れが強風で大きく揺れて家の屋根が危なく成り、2階の子供達の部屋の前で、2人の子供が怯えて居り、「此の侭では!」とのこぎりを出し、体に紐を巻き付け、ベランダの手すりに縛り、必死で屋根に降り揺れる其の大木を屋根の所から切り落としました。太い木を。他所の家でもご主人が木を根元から切っておられました。
塀は大谷石で崩れました。そんな凄い台風でした。お陰で屋根は大丈夫でしたが、帰った主人も驚いていました。
今考えると身震いします。いざと成ると女でも凄い力が出るのですね。子供の為?

2007年9月 6日 (木)

気持ちは判るが

台風の度に花鉢減らさむと片付け居れど又増やす夫

毎年関東地方に台風直撃とある度、に主人が庭や玄関の前の棚に並べてある盆栽や花鉢を、「もう大変だから今度こそ、減らす、欲しい人に上げる」と、同じ事をつぶやきながら下ろしていました。今迄大抵東京は逸れてくれて、有り難いのですが、「来る来ると行って来ないじゃないか」と、又もとに戻していました。確かに大変な事ですが、「来なくて良かったと思えば?」と言いたくなります。
旅行に行く時は当然水やり私の仕事でしたが、動けぬ今孫達に「お小遣いをあげるから朝と晩頼む」と出かけますが、孫達も引き受けながら朝早くと夜遅く学校から帰ってきた後に、仕方無く庭と両方水やり。
手伝っても上げられず、可哀想で「本当に減らせば良いのに」と思っていますが、何時の間にか又増えています。捨てられない気持ちは判りますが、自分も年を取り台風の来る度にこぼしているのだから、皆の為にいらないものは減らして欲しいと思います。昨日から又同じ事を言い乍ら鉢をおろして居りますが、今度は本当に台風直撃されそうで心配です。(豊作の蜜柑が。)

2007年9月 5日 (水)

戦争を生き延び

戦争を生き抜き得たる新時代わが経験は実り多きか

段々あの悲惨な戦争を経験した方々が少なく成ります。歴史で習っても、写真や映像を見せられても、経験しないと判らない悲しみ、苦しみがあります。運良く東京の戦火の下をかいくぐって行き延びた自分、そして180度がらりと変わった日本。それはそれは苦しい日々を乗り越えて今の日本が有るのです。パソコンに向かいながら、アメリカにもメル友が出来、旅先の孫とも瞬時に会話も出来、スポーツも楽しみ、戦争も無く、平和な毎日を送れる事を感謝します。色々進んだ医学や介護制度などで寿命も延び、マイナス面も多いですが、昔の人に比べると雲泥の差があります。此の尊い平和を絶対に失なわないでほしいです。世界の平和を。

2007年9月 4日 (火)

静けさの中で

夜も更けて風音も無く聞こゆるは秋の静けさ吾が吐息のみ

今日病院に行きました。眠れぬ侭に今日一日の出来事に思いを馳せる。全てがあるが侭に、迫り来る事は只諦めなさいと言う事に他ならない。いくら此の道がと考えても動けぬ身には不可能です。限られた中で進行に立ち向かうとしても、道は一本道。其の道を静かに進むしかありません。退廃の道。成るようにしか成らない事を良く知らされました。 此の静けさの中黙して目を閉じれば、聞こえる音は吾が吐息のみ。(首の麻酔で胸が楽になり、深呼吸が出来「ああ普通の人は此れが当たり前」なのだとせめて短期間でも此の幸せを嬉しく思いました。病院の隣に住みたいと。)

2007年9月 3日 (月)

私だけで無い?

吾が悪しき体調こらえ寝て居れば幾度も走る救急車の音

秋とは言え、天候の定まらぬ毎日。梅雨にもにた鬱陶しく暑さもあり決して良い季節とは思えない。今日病院に行きますが、昨夜何と訴えていいのか判らぬ崩れた体調。報告のメモを書いて、静かに横になって居りました。
私が具合悪い時は皆も悪いらしく、救急車が、何台か音を響かせながら通りました。つい私も乗って行きたい様な気分でした。本当の秋晴れが待たれます。気分だけでもすっきりするような。

2007年9月 2日 (日)

寂しき微笑

籠るれば逢う人も無き寂しさに思う存分化粧してみる。

もう忘れるくらい人並みに外出した事は有りません。出かけるのは病院だけ。父や母の法事にも、可愛がっていた甥や姪の結婚式も、勿論クラス会やお友達との食事会も、縁の遠い存在、全て諦めて家族の集まりを楽しみにしています。でも普段は矢張り一人。寂しいです。鏡にむかい髪を梳かしながら、引き出しを開けフルコースの化粧品に
つい心引かれ、誰もいないのを良い事に久しぶりに下地から整え、ある化粧品全部付け、アイラインを引きアイシャドウ、マスカラー迄付けて、口紅を塗り、スプレーで髪を整え、鏡に映る昔の私?に微笑んでみました。誰も見て呉れる人もいないのに。いくら微笑んでみてもモナリザでなく寂しい微笑みでした。(此れ死化粧かななんて。)

2007年9月 1日 (土)

寂しい5日間

部活動夜行で行くと孫出際5日間をば無理はするなと

毎年大学の鉄道研究会の部活の恒例で、OBさんも加わり鉄道で特別のゲーム、そして鉄道関係の見学にいきます。方々へ行きますが観光は殆どなし。勿体ないと思いますが、其れが楽しいらしいのです。
只孫は私の事が心配で、面倒見る事柄を全て妹、母親に細かく書き、説明して、主人に迄「じじ行って来ます。ばば一人だから宜しく。」と。そして行く前にお風呂に入れて、飲み水も用意し、「ばば行って来るけど、絶対に無理しないでね。メールは何回もするから見てね。」と、くどい様に一緒に行く友達も寄って挨拶し出かけました。「そんなに心配したら楽しめ無いでしょう、大丈夫だから」「だって大丈夫で無いでしょう。」と「其れより貴方も気をつけて行っていらっしゃい。」固く手を握って出て行きました。
毎日だが特に5日間は気をつけます。何時も孫のいない夜は何故か徹夜になって仕舞います。こちらが孫ッ子みたい。

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