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2007年8月

2007年8月31日 (金)

涼風縫いて (感謝)

日陰恋う暑さの去りて秋めきし涼風縫いて鈴虫を聴く

ようように暑さがら解放され、どうやら秋めいてきました。
マッサージの先生が、鈴虫を育てていらっしゃる方に「寝たきりの患者さんが頑張っている」と話されたら、「育てるのは無理ですから、雄だけあげましょう」と、6匹を小さいプラスチックの水槽に砂土を入れ、木の枝と楊枝に差したキュウリと茄子の餌まで入れて、私の為にくださったとのことで持って来て下さいました。
「手入れは霧吹きで時々、餌は毎日取り替えて、他にも野菜少し上げれば」と、飼い方も教えてくださり、「良い声で奏でますから元気出して下さい」と、おっしゃって下さいました。
鈴虫は昼間から、変わりばんこに羽をすりあわせて、本当に鈴を鳴らすように、済んだ音色で心の中までしみいるように鳴いています。キュリや茄子は何時も有りますので、此のくらいなら私でも面倒見られるし、生き甲斐がふえました。スイカの実を食べて少し入れたら喜んで食べていました。ちなみに蛋白質をと煮干しを入れたら、其れにも寄ってきて食べています。
優しい善意の方の思わぬプレゼントに心から感謝し「大事にします」と、呉れぐれも宜しくと伝えて頂きました。

2007年8月30日 (木)

自分の為に生きる

満たさるる事無き日々成り逝きてよし生きるも良しかでも北京あり


朝目覚めると,「今日一日どう過ごそうか?」痛みが出る中で考えます。寝ている時が一番幸せと思いながら、朝が来ると目覚め、此の痛みを少しでも忘れられる方法、そう、何かに熱中できる事無いかなと。
誰かのお役にも立てず、只迷惑ばかり掛けている今、出来るだけ愚痴は言うまい、皆に心配かけまいと、元々がこんな笑って先生にも痛み訴える性格だから、あまり自分でも深刻に考えられない、出来る時は何かしらやって居ります。痛みが強い時はべットの中で泣く事も。
どうでもいいと思う毎日ですが、「ああ、北京オリンピック迄頑張るんだ」と果無い希望を持ちます。何故かスポーツが好きで、見るだけでも。テレビの悪いニュースに腹を立て、政治のあり方にまで、何の力の無い自分を思い苦笑しています。(健康だったら、人の為に何かやります。本当かな?)

2007年8月29日 (水)

口には出さぬが心で感謝

汗垂れて吾を湯船に入れ終わり髪洗う孫ただ有難う

もう10年近く私をお風呂に入れて呉れる孫。はじめは、一寸手を貸して貰うだけで、お互い背中を流し合ったくらい。然し病気が進行し、筋力が無くなり、転ぶ事が多く成ってから一人では入れなくなりました。
幼稚園の時から何時もお風呂は一緒でしたが、中学生に成って私も考えたが誰もいないし、本人が私の面倒を見るのは自分の役目と、あたり前に入れて呉れるので、この際私に出来る事はしてあげ、面倒は見てもらう事にして甘えています。何回かお風呂で自分でと無理して転んで助けられました。自分の手に終えない時は、娘をすぐ呼んで来て、此のごろは私の顔色を見て判断し、救急車を呼んだり。
普段は中の良い友であったり、ライバルであったりしますが、一番頼りに成る存在です。ヘルパーさんや看護婦さんよりも。この暑い中、「ばば遅く成ってご免」勉強を終えて夜中に成る事が多く、車いすで運んで全て安全に洗い、湯船に座らせ、自分を洗い、色々一日の出来事など話し、先に出て私を出し着服を手伝い、薬を塗り湿布を張って、薬を飲む水を用意してベットに運び、自室に戻ります。こんな事だれもやってくれません。口には出しませんが心で何時も感謝しております。だからこそ私は出来るだけ自分でと頑張っていられるのです。隣で疲れて無心な寝顔をじっと見ていると涙がでます。良い孫を神様に授かって感謝しております。孫は「ばばが一番頼りに成る存在」と行ってくれますが。

2007年8月28日 (火)

姑の行李(こうり)

姑の残せしこうり大切に吾が作りし簡単服あり

私は主人の仕事上宮城県の主人の実家の側に居をもちました。都会生まれの私を義母も義兄、義姉も、周りの方も皆優しく見守って下さいました。義母も姑根性など無く、只言葉が判らなかった位で楽しい田園での生活でした。上の娘は「おらが家さござい」とお友達を連れて来ましたが、私は判っていてもあちらの言葉がでませんでした。
義母が夏にきちんと浴衣を着ているのを見て、私が浴衣の生地で簡単服を、洗い替えもと同じ型紙で3枚作ってあげましたら、「生まれて初めて、洋服なんてハイカラな物着た事無い」と皆に自慢して喜んで下さりました。そして毎日取り替え「楽で涼しい」と着て下さいました。その後主人も東京の大学で学んだので何の抵抗も無くこちらえ移りました。毎夏帰省すると義母はその簡単服を着て居られました。96歳で亡くなられ、何時も枕元に大事にしていた行李を皆で開けた時、中に100円札が沢山と(大勢来る孫達にあげるお小遣い)他に義母の大切にしたお宝がぎっしり、何と其の中に私が作った簡単服がきちんと畳まれ入っていました。大切に仕舞ってあったのです。たかが浴衣地の服を。思わず涙がこぼれてなりませんでした。昔話をして下さり「○○はきかない子だったあんたも苦労するね。」と本当に良い姑でした。嫁姑の苦労など知りません。

2007年8月27日 (月)

ばばと孫との会話(うぬぼれ?)

こっち見てっ孫吾を見てばば若い透かさず吾も君もイケメン

何時もお風呂に入れて呉れる孫、急に「ばばこっち向いてっ」、何だろうと顔を逢わせお互いにみつめていた。「何」?
すると「ばばは若い、なぜか考えたら皺が無いからだ、目はちっこく成ったが」何故か私も「○君もイケメン」
彼は「それは自分でも判っているよ」でお互い大笑い。「何時も思うのだが、他所のおばあちゃんみたいに、年寄りらしくない、何を話しても答えがすぐ帰って来る。其れに何でも知って居るし」人間褒められて悪い気はしない。
何時もお風呂に入れて呉れる時の会話は、学校の事、鉄研や学友の事,そして此れから選ぶ就職の事。等々彼の知らない昔の戦争初め、こんな本は読んで置くと良いよ。等、病気の話はしません、でも私の病気の苦しみを一番判ってくれているのは孫だけです。何しろ自分の部屋が有りながら私を心配して、ベットの隣に寝てくれます。
夜中に二人で「お腹空いたね」って、インスタントの焼きそばをこっそり食べたり、サイダー飲んだり。こんな関係です (私が救急車で運ばれる時,昔からちょこんと隣に乗っていました)。でもばばッ子では有りません。時にはどちらも譲らず議論します。特に政治の事は。

2007年8月26日 (日)

笑うに笑えず

通夜に行き隣りの席に香典を渡し香典取り戻す夫

ご近所の方が亡くなられ、近くの大きなお寺の会館でお通夜が有り、主人がいきました。
帰ると早々「今日は二人の人にお焼香をして来た、はっきりと大きく名前を書くべきだ」と怒っている。
理由を聞いてびっくり、「二列に並んでいたので、早い方に行き。お香典を渡し、お焼香したら写真が知らない人だった、其れで聞いたら名前が違っていて、お葬式が二件あり別人だと判り、戻り訳を話してお香典返してもらい、隣りに行ったら○○さんだった。あっちにも名前書いて困ったな。改めてお焼香したら家人がお礼を言ってた。まさか間違えて、隣のお通夜に行ったとは言えないし、恥ずかしかった。」と。名前は大きく書いてあった筈、せっかちな人で待つのが嫌な人だから、お葬式は一つと改めないで行ってしまったのだと思います。でも知らない方にお焼香をして来たのは亡くなられた方も喜んで下さると思います。
 (今日は世界陸上の開会式が有り、後のアトラクション凄く楽しみました。北京より先に明日も見ます。)

2007年8月25日 (土)

大冒険

なせば成るおぼつかなきし足元を庇いつ庭の茗荷一つ得

私の部屋に、庭に面した所と塀に面した所にガラス戸が有ります。茗荷は主人が邪魔だと,塀に面した1メートルほどの通路に植えてあり、毎年私がざるで撮り娘達にもあげます。然し今年は腰に受けた高周波熱凝固法のブロックの後遺症で足の筋力が失われ、歩け無く成りました。
それでもガラス戸から茗荷が見え手の届く所に花を付けているのが気になり、昼間一人の時に思いきって、数センチの歩幅で一足ずつ踏みしめて、捕まえられる物には捕まり、ガラス戸を開け、裸足で庭石に降り、必死の思いで其の茗荷を穫りました。
探せば未だ有りますが、一人なのでもしもの事が合っても困るし、後で知られたら皆に総攻撃されるので我慢し。片手に茗荷を大事に握り、さて部屋にあがるのが大変。テラスが無い方の窓から出たので、地面から部屋へ上がるのに高さがあり、手に持っている茗荷を離せば良いのに、おばかさん、亀が岩に登る様に必死にやっと登り、ベットに付く迄30分かかりました、夜お吸い物を楽しみに。
然しこんな他愛の無い事も、今の私には大変な事であり冒険なのです。悲しいけれど、でもなせば成ると頑張る事ですね。(何事も無くて良かった、細心の注意を払いましたので。)

2007年8月24日 (金)

女は変身する

病室の美しき女検査行き帰り来れば老い深くあり

入院の時お隣のベットの方と仲良く成り、話していると同年輩らしい。でも髪はふさふさ、眉も綺麗に引いて、ふっくらとして居られ、何もしないそのままの私は恥ずかしいと思うほど、若々しく美しい方で羨ましく思いました。話していて精神的にはあまり遜色は無いと思いましたが。彼女が呼ばれMRIの検査に行かれ、暫くして車いすで帰って来られ、「あっ」と思う程の年寄りの別人に思いました。髪の毛は薄く、総入れ歯だったらしく頬がこけ、眉まで落ちて。「知らなかったら、金属は全部はずされ、そのまま病室に連れて来られたの」入れ歯は無いとこんなに成るのかとびっくり、そしてカツラだったのも判り,カツラにも金属が有るのかと考えました。女の人はお化粧を落としただけで変わりますが、年を取って入れ歯と、かつらを外すと本当に変わるのに驚きました。彼女が身繕いする迄他を向いて居りました。私は始めから何もしていないので変わり様も無いのですが。

2007年8月23日 (木)

一つの生き甲斐

癒ゆる事諦め居りし日々なれど見たき北京は未だ先にあり

全て諦め、ただ一日一日を生きるために生きて居る毎日。只スポーツ観戦は一つの楽しみです。勿論テレビですが。冬のオリンピックは終わったばかり。でも北京のオリンピックは一年先に近づいています、色々のスポーツがオリンピックの出場権を争っているのを見ていて、どうしても、オリンピック迄は生きたいと思うように成りました。然し今の私に取って一年先は、遥か彼方に思えます。入院、点滴の繰り返しの此のごろ、夢が叶うなら速く一年が立って、現実に見たいと思います。あれも此れもと見たいものが一杯有るのです。手に汗を握るあの思いが溜まらないのです。勿論日本に勝って貰うことを願って。健康な人、お若い人には此の思い判らないかも知れませんが。
 来年の事を言うと鬼が笑うそうですね。

2007年8月22日 (水)

暑さ何時迄

此の暑さ超ゆれば力湧く筈と弱りし心ふるい立ており

さすがに頑張って居りますが、此の連日の暑さには参りました。其れでなくとも流動食でがぶがぶ、多い薬に水をがぶがぶ、そして一人でいるので、熱中症を心配して、飲みたく無くても水を飲めと、常におなか一杯、食欲も落ち、カカオの多いチョコを口に入れたりミネラルオウーターを飲み、クーラーを調節しながら幾日頑張った事でしょう。何時迄も続く夏はないと、此の暑さを超えれば少しは楽に成る筈と。一人では暑さだけが気になって、でも此の暑さを超えて、其の先に何が有るのだろう、秋風のみか、其れも又寂しい。野球の日本一でも見ましょう。
( 蜘蛛の巣はどうやら主人に 払われたらしく無く成りました。又去年の様に死角に作るでしょう。)

2007年8月21日 (火)

陽は何処に沈む

此の暑さ空迄くまなく焼きおるか赤き夜空に星影もなし

本当に暑い日が続きます。気象の事は知りませんが、こんな事有るのでしょうか。今迄太陽は西に沈み、美しい夕焼け空は陽の落ちた西の空と思っておりました。夜8時そろそろ涼しく成ったかと何と無く空を見たら赤い夜空。それから東の空、西の空、南の空、そして北の空、そう空一面赤いのです。ネオンにも関係なく、日が暮れて何時間も立っているのに、私の目が可笑しいのかと、皆に聞いたら「本当、何処も赤いね」と。勿論星影も有りません。
気持ちの悪い赤い空。それから考えました。太陽の出ている空は真っ青な事。陽の沈んだ夜空が赤い。此れって何か目に見えない光線の仕業かなって。何れにしても私は不思議でじっとみていました。暑さの所為でしょうか。
    それともお日様どこかで一休みしているのでしょうか。
 (こんな馬鹿な事で悩んでいます。本当は痛みの方が辛いのに。)

2007年8月20日 (月)

矢張り日記か

歌作る友の来りて吾が歌を言葉探して口籠り褒む

お手紙のお返事も書かず、電話にも出ませんでしたので、此の暑さの中、お友達がお見舞いと来てくださいまして心から、感謝と恐縮。其の方は長い間本格的に短歌、歩道の会員として、佐藤佐太郎先生の愛弟子で何時もご一緒に作歌活動をなさって居られ、先生がお亡くなりになり同時に活動をお止めになりました。私に短歌を進めて下さったかたです。其の方は「今お歌なさらないの?」と言われ「寝てばかりで行く所は病院ばかりだから、どうしても病気の歌ばかりで止めたの」と言い訳したら「正岡子規は病床で沢山お歌を作られたけれど病気の歌は作らなかったのよ」と脱帽。勿論ある程度は知って居りますが、歌集は読んで居りませんので恥ずかしかった。其れで「実はブログに毎日歌らしいのを一首と説明の日記を書いているの」とパソコンの4〜5日分を見てもらいました。彼女はじっと読んで居られ、何時もと違って何か口籠りながら「貴女らしいわね、生活感があって、気持ち良く判るわ」変な褒め方をされました。とたん「ああ矢張り日記なんだ」と知らされました。ちなみに私が投稿を勧められ、怖いもの知らずで読売歌壇の土屋文明先生選に投稿して其れが載りましたので短歌って此れで良いんだ。と甘い考えできました
  氷雨降る夜道を待ちし吾を見て白き息はき娘は走り来る      (  塾帰りの娘を心配で道路の街灯の下で待ち。)それから投稿魔に成り健康な時は色々の新聞に載せていただきました。其れが今は彼女が顔を背ける歌なのです。

2007年8月19日 (日)

全て借り物

整理しつ思うこの世に確かなる吾が物なるは我が身一つか

私が買ったものは全て自分の物だと思っておりました。今整理しつつ確かに永久に自分の物と言う物は何一つ無い事に気がつきました、嫌でも残していかなければ成りません。今迄あまりこだわって来た事が無意味であったと、
己の心さえ自由に成らないのに、吾が生み育てた子の心まで自由になんてとんでも無い事、我が身一つが吾が物と考えた時、周りは全て借り物、最後まで楽しませ和ませ癒された事を、感謝します。受けついでくれる物は受け継いでもらい、捨てられても、形ある物はいずれ壊れ地に戻るのですね。生きて居る間は吾が命と考えて、手元にある物は大事に。鉛筆一本でも。

2007年8月18日 (土)

吾のみの宝

旅先で記念に買いし特産品吾のみ宝ごみと覚悟す

少しでも出来る日にと細かい物は矢張り整理しています。納戸の隅に埃をかぶって置いてある、若い時からの旅の思い出の数々、無いお小遣いでやっと買った物も少なく無い。北海道での木彫りの鮭をくわえた熊、京都の一刀彫の人形、輪島塗の置物、九谷焼の置物、鳴子の銘の入ったこけし、等等小物などいっぱい思い出の詰まった物ばかり。いくら高価な物でも、旅のお土産は行った人のみの宝もの。不自由な私には見る事も無いまま、ほおってありました。孫に頼んで自分の物は大きな紙袋に収めました。つい「勿体ない」が思い出と共に頭に浮かんできます。此れから旅に行くのなら、もう絶対に買わないのだが。だから今は人様にも残る物はあげない事にしています。
今日も点滴だいぶ良く成りましたが、暑さの所為で、のびています。蜘蛛の巣見るの忘れました。

2007年8月17日 (金)

京都五山送り火

盂蘭盆に炎で字形物哀し亡き人去りぬ京都送り火

8月16日 母の命日で亡き母を思いお祈りして居りました、あの日もとても暑かった事を思い出しながら。
計らずもNHKのテレビで夜、京都五山送り火、右大文字、妙、法、舟形、鳥居、左大文字焼きが放映され、解説を聞き涙あふれる思いで炎を見て一緒に手を合わせておりました。観光の方も居られるかも知れませんが。
此の送り火で、父や母、弟、そして親しかった亡くなられた人々の、静かに浄土に帰られるようにお祈り致しました。
母の命日ばかり考えて居りましたが、此のお盆の間私の周りに亡くなられた父や母や弟達が集まっていた事を思い、改めて今日は盂蘭盆だった事を知りお祈りしました。私の煩悩も払われた事でしょうか。
今日は看護婦さんの点滴、注射、マッサージの先生もお盆明けで着てくださいました。少し楽に成りました。

2007年8月16日 (木)

一夏の思い出

一夏の思い出孫と夕涼み線香花火落ちる迄見る

今年は本当に暑い日々、でも何時かは秋になるでしょう。昨年花火を買ったまま忘れ、冬の寒い中、完全武装でやった事を思い出し、暑さも夜は流石に温度はおちましたが、今年は夕涼みがてら、水まきして孫と3人で花火をしました。矢張り夏の花火は風情が有り、いくつに成ってもいいですね。煙をさけながら、心の中では来年も出来るかな?と思いながら。線香花火の玉が小さく成って落ちる迄じっと見て居りました。孫たちは、色の綺麗な花火を終わらないうちに、続けてあっと言う間に終わりましたが。楽しく、心に滲みる一夏の思い出になりました。
(今日も点滴血管探しがたいへんでした。)報告蜘蛛の巣一本の糸三分の一位の所から又一本他の場所に増えました。どうして繋げたのか不思議です。

2007年8月15日 (水)

心の中は秋風

進み行く我が病をば医師と娘が介護相談心は秋風

点滴に来ていらした先生と娘が、私の事を心配して先の介護のあり方を、ショートステイなどを利用して今より増やしたらなど、色々話しているのを只聞いて居りました。私はきちんと次の段階や、ヘルパーさんにお願いする事も考えて居ります。然し今は出来るだけ頑張ってと自分を励ましつつ将来を予測し、覚悟している中、周りでそんな話をされると、矢張り皆のお荷物に成るのかと、心の中は寂しく、秋風が吹いています。実際体力も落ち点滴を受けて居りますので、表立って否定も出来ませんが。未だ緊急以外迷惑を掛けて居りませんが病気は悲しいですね。せめて口だけでも皆の気の付かない事は、教えて、メモして大事な事はしているつもりなのですが。

2007年8月14日 (火)

美しき命

一夏の命の限り知り居るか花を巡りて揚羽美に舞う

夏の色とりどりの花を巡りて、揚羽蝶が美しく舞う。そして蜜柑の葉に子孫を残して。こんな庭でも花が有るので、色々の揚羽が来ます。舞うと言う言葉が相応しくひらひらと優雅で美しい。
然し蝶は果たして、此の夏限りの命と言う事を知って居るのでしょうか。短い命故に美しく舞うのでしょうか。
点滴を受けながら、物悲しく思えて、命の限りを考えております。

2007年8月13日 (月)

幾日で完成か

屋根と木に一本の糸張られたり蜘蛛の巣作り見届けやらむ

何となく庭を見ていたら、あっと言う間の出来事、屋根から2〜3メートル位離れた蜜柑の上の枝に、キラリと光る一本の細い糸が張られた。蜘蛛の主は見えないが、今年も大きな蜘蛛の巣が作られると思うと、今迄完成した蜘蛛の巣しか見た事無いので、チャンス初めての体験と、何日でどのように完成するか、見届け様と思っています。昨年あの強い台風にも雨にも壊れなかったので、きっと完成すると思います。只主人に見つからない事をいのります。
今日も点滴、一日寝ている暇人だから見られるのですね。病気に感謝と言う事はありませんが。

2007年8月12日 (日)

どちらが大変

暑き中隣の工事煩きが働く人の苦しさ思う

今年は立秋を過ぎてますます暑さが強まる。クーラーを入れ体調を保って居りましたが、とうとう崩し昨日から、又点滴を受けなければ成らなく成り、静かに寝て居りますが、工事の音が響き何か落ち付きません。
「此の暑いのに煩いなぁ」と思いましたが、此の暑さの中、クーラーどころか涼む所も無く、外で働いている方はどんなに暑く苦しい事かと考えたら、私の悩みは我慢できる事だと気がつきました。

2007年8月11日 (土)

大病院

予約でも忍の字覚悟で行く所大病院の待ち時間多し

今は夏休みをとられる先生が多いので、余計かも知れませんが、定期の予約でも、予約道りに事が運んだ事は一度も有りません。先生は、私が体が不自由なのをお分かりに成られて、先生方が時間を合わせて待たない様にして下さいますが、それでも、先の先生が遅れると、後の先生にと、1階と2階を行ったり来たり、2〜3時間待たされます。先生も、午前の患者さんと午後の患者さんが一緒に待たれているので、お昼は抜きだそうです。車いすでは辛くて、何時も横になって居ります。其の後検査と麻酔のブロック、休んで、薬を頂いて帰るので会計は終わって居り、救急の会計や、事務の方が纏めて計算して下さり、親切にして下さいます。でも朝出て帰りは夕方、私もお昼抜きで、ものすごく疲れて帰ります。うがいと手を洗って、口も聞けずベットに倒れ込む、でも風邪くらいは訪問医のお世話に成りますが、病院の日は自分の事なので、じっと我慢の日なのです。皆様も経験なさっていらっしゃるでしょうが病院は辛い所ですね。(今日から又点滴がっかりです。)

2007年8月10日 (金)

海水浴のつもりで

何事も諦め居れど入浴を水着姿で夏を楽しむ

もう私に残された人生ではあの夏の醍醐味、大好きな海水浴をする事は無い。海岸を波と戯れながら歩く事も出来ない。テレビの海水浴を見ながら、ふと例の悪戯心が顔を出し、最後かも知れないと、水着を出して暑いのを良い事に、無理して着ました。体型は想像下さい。でも懐かしく上に普段の服を着て、夜お風呂に入る時、さすがに、初めての水着姿に入れて呉れる孫の驚き「何それ?頭大丈夫」説明を聞いた孫、大賛成でした。湯船の中で顔をお湯に付け両手で泳ぐ格好をしました。楽しい夏のリハビリーでした。そして思い出に。

2007年8月 9日 (木)

暦が先取り

立秋と聞きて待ちおり涼風を常に先行く暦の季語が

こんなに暑さに参っているのに、はや秋とは、何時も後を追いかけて、追いつかない。やっと初蝉を聞いたばかりなのに、私は秋が一年の中で一番好きですが、未だ体も頭も受け入れられません。今日も我慢できずに、クーラーを入れました。名実共に秋の気配を感じたい。お手紙は残暑見舞いなのですね。今のカレンダーには何も書いていないので、孫にもう秋と言ったら「此れから夏でしょう、僕は8月から夏休みに成ったばかりなのに」と。楽しみは先に合っていいのかも。

2007年8月 8日 (水)

扇風機

扇風機熱き空気をこね回し暑さ変わらず居座りおりぬ

本当に暑い。昨日迄は我慢できなくてさすがにクーラーを入れました。然し矢張り私の病気は、下半身の足、腰に、冷やす事で痛みが出ます。除湿にして、腰に懐炉を張って、厚い靴下をはいて。でも今日は又腰の動けなく成る予感の痛みに、諦めて扇風機を2台左右に強でまわしました。風がないのか暑さの所為か、只熱い空気をこね回しているだけで、涼しさは全く感じませんでした。昔はクーラーなど無くても窓を開け扇風機と団扇で夏を凌いだ物でした。矢張り此の暑さも地球温暖化の所為でしょうか。仕方無く枕にアイスノンを置き寝ていました。

2007年8月 7日 (火)

星に救いを

我が心焼き尽くしたくシリウスを探し迷いて緋のアンタレス

毎日不安定な己が心を持て余し、悶々と過ごす日々、何の為に生きて居るのか判らない。此の痛みに耐えて、其の先に何が有るのでしょうか。いっその事強いシリウスの強い光に身も心も焼き尽くそうと、夜空を見上げ、シリウスの在処をくまなく探し求めたが、辿り着けず迷っている間に何時か、我が星の赤きアンタレスに救いを求めておりました。吾の生まれし蠍座に。

2007年8月 6日 (月)

切ない

儚さは人の心かはた人生か熱き思いを込めて生きしに

今の此の寂しさは喩えようも無い。人の世に、人の晩年に希望をもち、一生懸命精進し生きて参りました。然し私の心を満たす物は何も無い。只一つ子を育て社会人に、そして嫁がせ、そして自慢に思える孫を得た事のみ。
(今日も静かに祈りの一日、私の神から頂いた誕生日、受先の日です。心は穏やかですが)

2007年8月 5日 (日)

矛盾なれど

残された時間短しと思いつつ起きおる時間持て余しおり

今迄は全て悔い無いように、残された時間精一杯生きようと努力し、あれも此れもと手を付けて、遅すぎた、時間が足りないと焦って居りました。でももう今更と諦めた瞬間から、自分の置かれた環境を思い、有るが侭に生き出しましたら、生きるために頑張るだけで、一日の時間が長く持て余して居ります。生き甲斐を失った人生こんな物でしょうか。

2007年8月 4日 (土)

時代は変わる

何時か又見る日が来ると懸命に撮りて捨ておりビデオテープを

今は何でもデジタル、こんなに速く進むとは思わなかった。ビデオを撮り始めて、名画やスポーツ、歌劇など、みんなも喜ぶと思い、自分も暇なときにと、良いと思う物は懸命に撮り溜め、整理しきれない位一杯に、でも今は全てDVD、やCDで容量も小さくて簡単になり整理も簡単、再び見る事は殆ど無く成りました。タイトルを見て、いくつか残し孫に頼んで大きなゴミ袋一杯捨ててもらいました。思い出は残して。残したテープも果たして見る事が有るかどうか。時代と共にすぐ新しい物が出るので、追いつけません。

2007年8月 3日 (金)

気力無し

もう愚痴は言わぬと誓い残る生腹も立てぬと思えど無理か

暑さのせいか、何か気力も失い日々同じ生活に飽きました。テレビを見ても、音楽を聞いても、何の感動も無い。同じ日課で、パターンも同じ、食べる楽しみも無く、古い書の中に思い出を求め、再びえられぬ新しい行動や感動。どうでも良く成りました。もう静かに、愚痴もこぼさず、腹も立てず、でくのぼうの様に残る人生送りたい。こう考えていますが、此れも愚痴なら無理でしょうか。

2007年8月 2日 (木)

何十年前の押し花

古き書をひもどきおれば懐かしき吾が作りし押し花すみれ

学生時代に読んだ古い本を整理しつつ読んでいたら、なんと昔私が挟んだ薄紙に挟まれて、形もそのまま、可愛いい、すみれの押し花が出て来ました。何十年間も此処に挟まれたまま、日の目を見る事も無かったすみれ。凄く感動しました。大事に手元の手帳に移しましたが、あの頃可愛い花は押し花にして居りました。若ししたらほかの本にも、と思うと矢張り中を改めなければと思いました。前に私の歌19歳の処女作?が出て来ましたので。でもいずれはゴミかな。

2007年8月 1日 (水)

梅雨あけて

梅雨の明け何か変わると待ちたるが何も変わらず初蝉を聞く

やっと梅雨が今日あけました。暑さも加わったみたい。長い梅雨があがれば、体調も良く成り、意欲も出ると思って居りましたが、昨日と何も変わりません。只一つ夏らしい感銘其れは待っていたかの様に初蝉の鳴き声を聞きました。前の公園で、耳を澄ませば数匹の音が、此れからが夏本番、でもはや立秋の日も近づいて居ります。
此の夏良い事有りますようにと願っています。欠き氷でもたべて。

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