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2007年7月

2007年7月31日 (火)

大荒れ29日

投票を終えて帰れば忽ちに雷雨稲妻自民惨敗

朝は穏やかなお天気、午後選挙の投票に行き、家に帰ってホットした途端俄に暗雲が立ちこめて、凄い雷雨・轟音と共に稲妻が走り、其の時は此れで梅雨が明けるのだと思いました。夜になって又雨、そしてテレビを流れる投票結果。さすがに此処迄予想しなかった結果に、唖然としました。お天気も大荒れなら選挙結果も大荒れ。
これからが大変。其れにしても今年の梅雨は本当にどうなって居るのでしょう。昨日の続きで今日も又雷雨。今も多き雨音が間断無く続いています。何時梅雨が開けにるのでしょうか。

2007年7月30日 (月)

判らぬ政見

このたびの選挙大事と連れられて向かえど途中迷い続けり

お天気が悪く無ければと、今度の選挙は政権にとって大事だから、と約束してあり、まあお天気でしたので、車いすで押されていきました。今回はあまりにも政見がテレビで聞いていて、はっきりと判らず、迷っていました。でも当日迄にはと思って居りました。いざ当日つれて行って貰い未だ迷い投票する迄、国民の立場で一票を入れてまいりました。汚い政治の世界をあまりにも見せつけられて。本当に国民の信頼を裏切らない政治で有ってほしいです。
老いて、病んで、今迄こんなに深く投票に迷った事は有りませんでした。

2007年7月29日 (日)

知らぬ世界

空が海浮かぶ白雲小舟なら乗りて行きたし海果つる迄

毎日毎日来る日も来る日も、窓から庭と空とを眺めている毎日。梅雨は未だ明けないがカンカン照りの暑い日が続いています。空が青いと海の様、白い雲が小舟の様に浮かんで少しずつ動いています。若しあの雲が小舟で乗れたなら、空の果て、海の果て迄行って見たいなー。と子供の様に見入っていました。何もかも忘れて楽に成りたくて。

2007年7月28日 (土)

有るが侭に

父母も準備無くして逝きませり疲れし吾も残すは遺品か

父も母も、夫々病気は違いますが、本人は私ほど長い病気で無かったので、老いとか死とかあまり意識しておりませんでした。母は70近く自分で全て手続きをして、ニューヨークに居た妹の所へ行き半年、帰りにサンフランシスコに1週間、ハワイに1週間遊んで来て、お土産がメイド、イン、ジャパン?そんな元気の持ち主でしたが、亡くなる時は急で、大事な物は私に預け、父も母も何の準備無く。逝ってしまいました。残された者は後始末が大変、ほとんど捨てて、残りは未だに納戸に。特に思い出のある物は遺品として夫々が大事にして居りますが。其れを知って居るので、後始末が楽な様に整理しましたが、肝心な物が捨てられず、今は疲れて、もう有るが侭にと思うように成りました。沢山のゴミの様な遺品?を残して。反対に捨てられない物を先に捨てるべきだったのかも知れません。後の人が迷わぬ様に。私の和服類も納戸に。

2007年7月27日 (金)

未だ捨てられぬ

カビ臭き古書整理を始めたがしらず読み出す目的忘れて

引っ越しの時私の大事な本を、主人が床下の奥に全部入れてしまい、出すに出せず10年近く経ちました。矢張り今手に入れ難い大事な価値ある本だけは、孫達の為に整理しておこうと、娘に出してもらったら、「ままカビが生えてるみたい」といわれ慌てて中を覗いて見ました。危ない、カビ臭い全集も古書も、風を通して残せる物はと整理し始めたのですが、どれもこれも懐かしくいつの間にか開いて居るうちに虜になり、読み始めて疲れて「こんな事している訳に行かない」と気付きました。此の本整理する間の時間が欲しく成りました。当然読む事念頭に入れて。お金で買える物は捨てても仕方が無い。でも今ある本は手に入らない物ばかり。どれも捨てられません。あとは残された人の価値観に任せます。
東海道膝栗毛も翻刻本(訳して無いもの)も藤村の初版も、大正時代のシェークスピアの全集も、その他色々。

2007年7月26日 (木)

老いたれば子に従う?

老いたれど子に従わぬ吾が性よ厳しき病打ち勝つ故か

老いたれば子に従え、の言葉が有るが、未だに私は子に従わない。大した事で無ければ、従ったふりをして、何も言わない事にしていますが、大事な決定権は譲りません。殆どが私の事が多いので、一番自分を知っているのは私自身なのですから。本当は「アーそうかい、そうかい」って言う通りにしていられる立場なら優しいおばあちゃんで居られるのでしょうが。でも考え様で其の気力があればこそ、今若い孫と見解の相違はとことん話合い、パソコンをいじり、プレステでゲームを楽しんでいられるのかも知れません。自分では分からず屋では無いつもりですが。 
何時も娘達や孫の幸せを考え祈っております。

2007年7月25日 (水)

悩む選択肢

医師の告ぐショック療法デメリット記憶喪失其れも良きかな

昨日先生に言いたい事を忘れた理由の一つ、私の持つ此の病は今の所治す術が全くなく、今は私が歯を食いしばっても、じっと我慢して居りますが、限界が来た時の選択肢を二つ告げられました。一つは最後の強いモルヒネ、もう一つはショック療法。此れは他の病気の痛み止めにも用いられていて、全身麻酔で、脳にある痛みの感じる所にショックを与えるそうです。
「痛みはすぐにとれませんが、徐徐にとれる」と言われましたが、「100パーセントと言う事は無くやってみなければ判りません。」「デメリットは?」と伺ったら、「記憶喪失、全てと言う事では無いが、前の事は忘れる」とのことで考えてしまいました。今こうして書いて居るブログの事も忘れて、孫の顔もと考えると大きく悩みます。東大と荏原病院が特に力を入れて居るそうです。でもいずれは楽にこの世を去りたいので、最後の選択肢とすればまあ良いかと。でも若し記憶だけ無くなって痛みがとれなかった場合、理性も無くし大声で「痛い、痛い」と連呼したらみんなに迷惑掛けるでしょうと、最後の最後迄痛みに耐えて頑張る積もりです。

2007年7月24日 (火)

メモを持ちつつ

病院の帰りの道で後悔す医師に言いたき事みな告げず

久々の病院の予約。先生にどうしても言わなければならぬ事をわざわざメモに書いて持って行きましたのに、先生から今後の事を大事な二つの選択肢など話され考え込んだり、又色々な話をしたり、3科巡りで次の予約などをしているうちに、大事なメモの事すっかり忘れてしまい、最後のペインクリニック科でブロックなど受け、30分休んで車に乗り帰りました。其の帰りの車の中で先生に話さなければならない事を思い出し、引き返す訳にも行かず、「しまった」と本当に後悔しました。次の予約の日迄問題を抱えた侭では困ったと、わざわざこういう事が無い為にメモを持って行きましたのに。これも老化かな?

2007年7月23日 (月)

孫の思いやり

熱中症心配してか水飲めと並べ呉れおりワインと書いて

暑くなり、「晴れていなくても熱中症に成りますから注意して下さい。」テレビで放送しているのを聞いて、昼間一人きりに成る私を心配し、「ばば飲みたいと思はなくても、水しっかりと飲んでね」と孫が小瓶の水をふたを開けて5本も並べて行って呉れました。私が「薬飲むのに5回で1ℓ位飲んでいるから、水ばかりそんなに飲むの嫌だね、せめてワインだったら良いけど」と冗談を言い、「有難う、飲むから心配しないで」と学校へ行く孫を見送りました。
昼間喉が乾いたので置いて行って呉れた水を飲もうとしたら、ラベルに(ワイン)と書いてありました。当然中は水ですが、孫の気持ちがとても嬉しく思いました。  じっと何もしないで横に成っているのであまり飲みたいとは思いませんが注意を守ります。

2007年7月22日 (日)

歌のスランプ

夢の中何時も短歌が浮かび来る三十一文字のリズムにのって

此のごろ短歌が浮かばない。書きたい事は有るけれど、どう表現して良いのか判らない。病気が重なって、つい病気の事ばかり出て来て、見苦しい歌ばかり。でも何か書きたいと何時も思う所為か、夜寝ていてはっきりと、短歌を作っています。5、7、5、7、7、そう三十一文字で。でも朝覚えている事あるが、歌なんて呼べる物ではない。
本当は矢張り短歌が好きなんだとおもいます。体調が戻れば、良い歌が浮かんで来ると自分を信じています。

2007年7月21日 (土)

籠るれば

気がつけば昔の服のみ着ておりぬ衣服よ汝れは歳をとらぬか

闘病生活十数年経ち、今は病院が唯一の外出。それでも初めは病院にも指輪、イヤリングなどおしゃれをして出かけていました。レントゲンや検査の度に皆外され、段々と装身具は身に付けなくなりました。お化粧も顔色を見るのに出来ず、洋服だけはお気に入りのを身につけて。でも外出の数より入院が増え、寝間着ばかり揃え、たまに着る服は買わなくなり、未だ50代に買った服の中から気分で選んで着ております。ジャケットの中に着るインナーは変えても、自分では同じ生活の連続なので、歳をとった自覚があまり有りません。平気でピンクや赤のインナー、孫が似合うと言うのを真に受けて、考えたらなんとお金のかからぬ生活でしょう。靴もウオーキングシューズ一足。ブランドのバックなど何処かへ行ってしまいました。頭の中も昔の侭、だからいつも孫と本気で言い合っています。ばばの貫禄無し。

2007年7月19日 (木)

遅れたお中元

此の寒さ暑中見舞いと書くべきか暦を前に未だ迷いおる

今年は未だ梅雨も開けず、寒くてカーデイーガンを着ています。大事な方に入院や動けぬ病気が重なって、お中元を出し忘れてしまい今注文を書き出しました。
当然お中元と書いたら、お中元は7月7日迄で其れ以降は暑中見舞いとなって居り、暦を見たら7月15日の事で、矢張り暑中見舞いになるとの事。此の寒さで暑中見舞いは受け取る側で何か納得いかないでしょと考えています。もう少し遅らせて、せめて梅雨が開けて暑くなってからの方がかえって良いかな? と、迷っています。でも遅くなって気にもなるし。

梅雨が開けない所為か、座薬でやっと身の周りの事をしています。ロキソ二ンが効かず使えないので、なるべく
座薬は使わない様にと医師に注意されて居ますが、ブロックに行かれませんので、用心しながらの生活です。

叶うならP2

もし一日健康自由呉れたなら計画のみで終わりて仕舞うか

若し神様が私に一日だけ健康と自由な生活をくださったら、長年閉ざされた思い、おしゃれをして街中で色々ショッピングもしてみたい、高尾山にも登りたい、静かな川のせせらぎを聞きたい、海辺で裸足で波と戯れたい、お友達とすてきなテラスでお茶を飲みながらおしゃべりしたい、音楽会も行きたい、観劇もしたい、そうそう大事な教会に行ってお祈りしたい「健康にして下さい」って他愛のない事だけど。一日に絞ってどれとどれをと計画を立てていたらば、計画だけで一日終わってしまうかも。今これを書きながらみんな実現したくて、凄く楽しい時間を持てました。
叶わぬ夢と知りながら。

2007年7月18日 (水)

叶うならP1

叶うなら見知らぬ駅で降りたちて何処を問わず歩きてみたし

もう10年病院以外自分の意思で何処も行った事が有りません。歩け無いからなのです。2本の足が有りながら。
歩きたい。歩いてみたいのです。何処でも良いから。
昔から、ふらりと電車に乗って知らない駅でふらりと降りて、知らない町を地図も無く歩いて見たら、どんなに楽しいでしょうと考えておりました。地図に無い案内にも無い新しい発見があるかも知れない。でも憧れながら実行しませんでした。矢張り後悔しています。今はきっと自由が欲しいのかもしれません。自分の選択(肢)が欲しいのかも知れません。

2007年7月17日 (火)

白衣の天使

難しき吾が採血をとり終えて息つぐ乙女の天使の笑顔

入院中片方の手に点滴中、右手から採血にと可愛い看護婦さん、私は血管が出ず、しかも腕が浮腫んで居て細く、いつも採血に手をやくことを当然聞いて居り、針をさすのにあれこれ苦労していました。
「入らなかったら、何処から採っても良いから」と私は言いましたが、さすったり幾度も確かめて、「ちくっとしますから」と差し、一度で入りました。私は何度差してもいいと思って居りましたが、真剣なまなざしで針を入れていて、入った時ほっと息をしてにこっとした若い看護婦さんの笑顔を忘れません。白衣の天使と、きっと良い看護婦さんに成長するでしょう。

2007年7月16日 (月)

諦め

時惜しみあれもこれもと手をつけど全て中途で残し行かむか

水鳥跡を濁さずを心がけ、色々整理したり、後に残された人に迷惑を掛けまいと、出来る限りと頑張って来ましたが、体力も気力も落ち、無理が出来なくなりました。無理をすれば自分も苦しいし、周りの人に心配を掛け、今は、のんびりとあるが侭に、醜く無い程度に止め、好きな事をして行く事にしました。楽しい夢でも見ながら、音楽を聞いたり、本を呼んだり、ブログのお友達とおしゃべりしたり。時にはDVDで映画を見たり。ゲームをしたり。病気と老いには勝てません。特に病気には。

2007年7月15日 (日)

自然を壊す自然?

美しき自然を壊す此れも又自然の暴力人後押しか

かけがえの無い美しい自然が、様々な自然の大きな力で破壊され失なわれて行く。然し此の破壊の力も昔とは又違うと思います。地球温暖化を初め、開発など様々な人間の大きな破壊も加わって、後押ししている様に思えます。
地球全体が破壊され、いずれは宇宙にも及ぶと思います。判らない人間に、天からの忠告だと思いますので、地球を破壊する前に全力で守って行って欲しいですね。此の台風のそして地震の恐ろしさに常に怯え、対策の立たない侭神頼みの様な事を繰り返し、このままでは神様もお許しにならないと思います。単純な考えですが。
今日も一日全く動けず、痛みに耐えながら歌でなくこんな事を考えていました。

2007年7月13日 (金)

お願い

今まさに開かんとする白百合に情けあるなら台風逸れよ(て)

庭の白百合、2本色も白みふっくらと、明日にも開花しそう、十数年経ち花数も増え、開くと大輪なので見事です。一年立ちやっと開く寸前、なんと今超強力な台風が関東地方にも来ると、テレビで注意予報が流れています。
私には支柱も立てられず、花が開けば大きいだけに折れてしまうかもしれません。せめて花が終わるまで台風が逸れて欲しい。お願いします。
今日は私も台風の近づきで、痛みに負けて動けず私の為にもと祈ります。

睡蓮

清く澄む水面に浮かぶ睡蓮に亡き人忍ぶ盆の花かな

睡蓮の美しい季になりました。睡蓮と言うと、日本をこよなく愛し、沢山の美しい睡蓮の絵を残したモネを思いだします。色とりどりの魅せられる彼の絵を集めて見いっています。日本では、方々の庭園や湖で、見る人の心を楽しませてくれますが、大抵薄いピンクの花が多い様ですね。深大寺には、モネの絵の様に、色とりどりの花があり、夫々違った美しさがあります。実は私は睡蓮というより蓮の花と呼び、盂蘭盆に母が父の仏壇に、ハチスの葉に色々父の好んだ食べ物をのせ、蓮の未だ開かぬ桃色に色づいた蕾みの花を差して、暫く何か語りかけておりました。それを見て、「あーお盆には魂が帰って居るのだ、其れで母が父を忍んで居る」と判りました
昔から盂蘭盆には何処の家でも蓮の葉に茄子で作った馬?などのせて送り火を焚いて、道路の角などに置いたものでした。その後3年めに母も他界して父の所へ逝きました。其れ以来睡蓮を見ると亡くなった人を思いだします。父は7月、母は8月、どちらも、新と旧のお盆でした。

2007年7月12日 (木)

痛み+痛み

既に耐ゆ痛みの上に重なりて声も出でずに点滴見つむ

憂き事のなお此の上に募らかし限りある身の力試さん。此の歌の通り耐えられない痛さを承知の上手術をうけました、口腔外科で、、抜歯4本我慢していて骨の中に膿みが溜まり骨を全部削りヤスリをかけ10針以上縫い、口ビルも腫れて口もきけませんでした。一晩中出血が止まらず眠れず我慢した分大変な事になりました、一番後回しになりましたので。「鏡は当分見ないように」とおっしゃられたので退院まで見ませんでした。点滴の漏れた後が醜いです
今はもと道りになりましたが、此れからが本当の治療が始まります。生きている間に美味しいものいただきたいから。「痛い」と一言も言わなかったのは、流石頑張りやの名誉の為。当分は泣き言言わない様にします。未だ病気の報告だけでご免なさい。

2007年7月11日 (水)

退院

退院し己がベットに寝て思う此処が生きおるベストの住処

我が家程良き所無きと思う今硬きベットで耐えし日終えて

色々ご心配いただきまして、本当に有難うございました。四方視界を遮られ固いベットで24時間体制で4種類の点滴の毎日、痛みに耐えて今日やっと、お陰様で解放され退院して参りました。来週また抜糸に参りますが、矢張り入院はいやですね。食事が出来ず、点滴が其の分増えて。家でも流動食ですが、矢張り家が一番。すぐパソコンに向かいました。又下手な歌を書ける時に書かせていただきますので、どうぞ宜しくお願い致します。当分は体力をと考えています。病院でやる事無いから、歌をと考えていましたが、出たのは涙だけ、恥ずかしゅうございます。(10日)

2007年7月 2日 (月)

笑歌

蚊に告ぐる血は欲しいだけ取りてよし顔の周りの旋回止めて

 何時も拙い歌を暖かく見守って下さっていらっしゃる方に、本当に有難うとお礼申しあげます。とても嬉しいです。
今日から入院致しますので、暫くお休みさせて頂きます。退院致しましたら又どうぞ宜しくお願い致します。
皆様も体調を崩されませんように、ご自愛下さいませ。

昨日蚊が一匹入り込んで布団をかぶったり、眠られませんでしたので。

2007年7月 1日 (日)

夢覚めて

リードされ胸ときめきて踊りおりワルツの曲雨で夢覚む

久しぶりに軽やかに、上手なリードで踊っている楽しい私、流れるようなワルツの曲で、ダンスシューズもぴったりで本当に楽しかった。其れが曲が終わってあろう事に雨音で目が覚め、夢である事が判った。此の楽しさの後の虚しさに、現実を見せられて、悲しくなりました。でもあの一時は夢に関係なく楽しい思いでした。もう一度夢を見られたら、タンゴ、でも、ルンバ、でも思いきり踊りましょう。君のリードで夢よもう一度。

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