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2007年4月

2007年4月30日 (月)

春の実り

芽吹きいて透き通りたる新緑の汚れなき葉に魅せられし季よ

桜が散り本格的の春になりました。色々の木々の葉も芽吹き、此の透き通る美しさ、何もかも新しく蘇ったようで、花より新鮮さを感じ此の季節に魅せられました。心が洗われて行く感じ。大好きです。朝の日を浴びて大きく深呼吸新鮮な緑の空気を吸い込みました。はや、初夏の香りがします。未だ虫も蝶もとんで居ません。新緑のみです。

2007年4月29日 (日)

時に追われて

止まらぬ時に追われて日々歩む散りし花びら拾えぬ侭に

何故時の経つのはこんなに早いのでしょう。今年になって立てた計画何もすまさぬうちに、計画の中では、痛い歯も入院して良くなって居る筈なのに、とうとう休日明けに改めて予約、お天気で体調を崩した事もあり、友を無くしたり、計画に無い事ばかり多く、折角の春を桜花を眺める事も無く、謳歌出来ない侭過ぎようとしています。此の先も同じ事で終りそう。何も計画果たさずに。

2007年4月28日 (土)

小さき命

今一つ小さき命の召されいて手の平にインコ未だ暖かき

最初に飼ったインコは成長の番で可愛がって居ましたが、篭の掃除をしていて逃げられて仕舞い、手分けして方々に張り紙をはり探しましたが見つからず、暫くたって有る家の方が迷いインコを飼い出したと聞きすぐ行こうと思いましたが幸せならその方に悪いと諦めました。
次は手乗りにと赤ちゃんインコを買いに行き、黄色の雌にはキッコちゃん、水色の雄にはピピちゃんと名付け、大きな口をピーピー二つ開け待って居る2羽に、代り番こに剥き粟に葛粉と卵黄をお湯で混ぜたものをスプーンで一日何回も上げ、思いどうりの可愛い手乗りインコに育てました。
私の肩に乗りトイレまで付いてきて、でも良い事ばかりでなく壁紙をつつき、糞をするので主人に怒られ、娘の部屋で飼いましたが、何時の間にか、私の繰り返す言葉を覚え「キッコちゃん、ピピちゃん、やーね」と言う様になり、皆の中心的な存在までになり楽しく過ごして居ました。
9歳のお誕生日が過ぎたころ、雄のピピちゃんが入院し、祈りの甲斐なく夜中に病院から「酸素吸入始め手を尽しましたが今息を引き取りました」と電話があり、其れから一晩泣きはらしました。翌日小箱に千代紙を貼ってお棺を作り迎えに行き、泣きながら抱いてタクシーで連れて帰りました。家族で相談してはく製にしてもらい、内蔵は庭の地に埋めてお墓を作りました。残った雌が矢張り寂しいのか元気がなくなり、まとわり付いて離れなくなり、可哀想で大事にしましたが、一年ほど経ち篭から出なく成り、突然最後の力を振り絞り這い出して来て、差し出した手の平に乗り其の侭静かに召されました。皆の愛に見守られながら。矢張り前の小鳥と同じに内蔵は地に返しお墓を同じ所に造り、はく製屋さんに同じ枝に止まらせてもらいました。生きて居るときの侭に二羽で向き合わせて。今でも何時も「キッコちゃん、ピピちゃん」と語りかけて、時には涙が一杯になることもあります。たかが小鳥と思われるでしょうが。
苺を上げると種だけパチパチ音を立てて、食べ口の周りにかすを一杯つけていた姿、今苺を食べる度に思いだします。

2007年4月27日 (金)

捨てられぬ

履ける日は無きと知りつつ捨てられぬ銀座を歩きし白いハイヒール

こんな自慢話今だから許して下さい。身辺製理していて一番、絶対にいらないと思うブランドだけど白いハイヒールがあります。此のセンスのいいイタリー製のハイヒールを見ると、此の靴を履いておしゃれな銀座を、大きなウインドーに自分の自慢のスタイルを何度も映しながら歩いた楽しい思いでが、其れにまつわる思いでとともにふつふつと湧いてきて。どうしても捨てられません。60歳を超えてウエスト68身長160体重48キロ 、こう書くとスタイルは良いと思うでしょう。だから洋服も少しおしゃれしたの。只恋人は同性のお友達で残念。本当に叉履ける日が来たらと楽しみに大事に仕舞って置いたのですが、再び履ける日の無い事を知りつつ未だ手元に置いてあります。洋服は今娘が気に入ったのは皆運んで仕舞いました。でも此の靴だけは何故か渡せません。こんな女心分かって頂けるかしら?

2007年4月26日 (木)

心の故郷

此の土地に四十年も住み居れど何故か夢では昔の家のみ

この頃父母や元気な頃の夢を見る事が多い。然し、必ず住んで居る家やお友達と会って帰る家は、昔住んでいた三田の実家なのです。部屋も昔の家。夢の中でも「そうだ、今住んでいる所は世田谷なんだ」と気付き帰るのだが、帰り方が分からず、タクシーに乗ってもどうしても此の家に帰れない。家の在りかもわからない。三田の家にはご丁寧に国電(昔はそう呼んだのです)田町から歩いて帰ったりするのに。
結婚して此の土地で子供を育て嫁がせて孫まで遊ばせたり、その孫も今は大学生にもなって居るのに。此の土地のほうが馴染みも年数も(45年)はるかに深い筈なのに、未だに夢の中では分かりません。実家はとうの昔に変わり今は無く、決して故郷とは思って居りませんのに。現実には目を瞑っても現在の家の中も街も駅迄も行ける(歩けたら)のですが。不思議でたまりません。昨日の夢でも銀座から三田の家に帰ってしまい困ったので。

2007年4月25日 (水)

毎日が寝て曜日

子育てと母の看取りで追われ居て耐えし寝不足今有り余る

若いとは言え子育てと妻の座、母の座、そして母の看取りと忙しく、たとえ皆が風邪を次々引いて私も熱が高くとも私は寝る訳にいかず、薬を飲みながらも我慢して、皆の食事や看病をしなければ成りませんでした。誰でも母親は同じ経験を経ているのですが。
朝早く起き、お弁当3人分作り、改めて朝食の支度、掃除洗濯、買い物。専業主婦とは言え皆の靴磨き、ワイシャツ迄家でアイロンかけなどなど、夜遅く迄かかり全てやり終え、明日のお弁当の支度をして、お風呂に入るとやれやれ。そんな毎日。病気でもいいから思いきり寝たいと思っていました。
二人の娘を嫁がせて、やっと自分の好きな時間を持てると思った時、こんな病気を持ち、結果毎日寝てばかりいる生活。もう有り余る程の眠り。きっとあの時、神様が愚痴を聞いていらして、今叶えて下さったのでしょう。

2007年4月24日 (火)

寂しきか

目が合えばどの花見ても美しき春風に揺れ花も微笑む

たった一人の毎日。ぼんやりと庭の花に目が行く。じっと見つめていると、花にも個性があり夫々美しい。春の優しい風がそっと吹いて花が揺れる。まるで私のまなざしに答え、微笑んでいるようにおもえます。私も何か微笑み返しているのかも。選挙も終わりいつもの静かな日々になりました。
今庭を飾って呉れている花は、桜草。3種の海老根ラン。日本、西洋、オダマキ。ペチュニア。ストック。年越しのサルビア、シクラメン。ナデシコ2種。もう終わりそうな八重桜。そして目立たない(スミレ)あとは名前の知らない花。でもどれも愛しています。

2007年4月23日 (月)

ブログの友

ブログにて心許せし友を得て共に励まし時歩みたし

難病で長く引き籠っていたが、矢張り寂しい日々。つたない私のブログ読んでくださる方は居ないと思いながら日々日記のつもりで書き続けていました。コメントを頂いたときは驚きと嬉しさで、楽しくなりました。私の言葉を理解してくださる方がいらした事と、病気の苦しみもさらりと受け流して、でもお互いを庇い合い、此れからの日々をともに励まし合って生きて行ける事が出来るお友達、年の差は関係無く心許して何でも話せるお友達に巡り会えて、ニュース交換も出来るし、心から感謝して居ます。此の出会いを大切にしたいと思います。宜しくお願いします。

2007年4月22日 (日)

悲しき訃報

去年の暮れ手術受けると告げし友桜見ぬまま散りし悲しき

この年に成るとお友達が亡くなられ何回も寂しく動揺する事が多く、何時もお互いに、「私が天国に召された時は内々でお葬式をしますから、お知らせしません。だから生きて居る間にお電話でもいいからお話し沢山しましょうね」とお約束して有ります。知らせればお互い北海道でも、九州でも具合悪くても飛んで行ってしまうから、と。でも昨年の年賀状に「今年はお会いしましょうね。」と書かれて有り、私もお会いしたくて来て下さるのを楽しみにしていました。お電話では何時も長電話で「話して居ると逢ってる見たいね。お互い若い侭の顔で年とらなくていいわね」と笑って話していたのに、とうとう会えぬ侭。
暮れに落ち込まれた声で「膵臓癌なの、未だ初期だから先生大丈夫だから、手術受けるの」と病院から電話があり、色々「頑張って」と話し、それからは毎日どうなさったかと連絡を待ち、そのうち私も入院。毎日点滴の日々を過ごして今も体調を崩した侭、思いもかけぬ他の方からのお知らせ。お互いに知らせないと約束はしたものの、後から分かり今は只涙でご冥福をお祈りしています。「いずれ私も逝きますからその時は色々お話しましょう」。

2007年4月21日 (土)

心細きか

何時か逝く日まで愚痴らぬ自信なし心静めて抹茶たて飲む

お天気が悪いと体調が悪い。病気は人にはわからないし皆を不快にするだけだから、絶対にこぼすまいと何時も口から出かかっても、ぐっと抑えてやめています。でもお天気が良く良い気候になると、何処へも行けず一人家に籠って毎日同じ時間の過ごし方、つい皆が羨ましく痛みの愚痴でなく、たまらなく寂しく溜まったストレスを吐き出してしまいたくなる。偉そうな事言っても弱い人間、余りにも長い閉じこもりと、自分で自由に成らぬもどかしさで、ぐちを言わぬ自信がなくなりました。心落ちつける為、昔からの一番良い方法の抹茶を静かに立てて、無心に過ごす時間を持つ様にしています。

2007年4月20日 (金)

術無き病

何時かはと筋の萎縮を恐れしが訪れしいま耐ゆるのみなり

首の手術が終ってから方々の筋肉の萎縮が強くなり、整形の先生は、「手術をしたのだからそんな筈はない」と、「若ししたら筋萎縮症では」と、神経内科に回され、綿密な筋萎縮症の検査を全て受けましたが、筋萎縮症では無く矢張り脊髄損症の所為で萎縮が始まり、「進行性だからどんどん進むでしょう」と宣告されました。そして「今の医学では治す方法はありません、頑張って下さい」とうつむかれた侭おっしゃいました。「分かりました」と答えたものの、外へ出たら晴れて居た筈の太陽が灰色に見えました。
あれから何年か立ち今は現実をしっかり受け止め、頑張って生きて来ましたが矢張り恐れていた筋萎縮の苦しみが増えて来て、覚悟していたのに、耐えると言う事は辛いです。こんなに医学が進んで居るのに。簡単に「はい、部品を新しく取り換えました」と言う事になればいいなあーなんて思います。

2007年4月19日 (木)

選挙2

身近なる地区の選挙の近づけば己が名連呼車騒がし

何時もの事ながら選挙が近づくと、車で「何々党の何何です、皆様の一票をお願いします。」と声をからして叫び続ける。大事なテレビのニュース等聞こえない事があります。走りながら名前を連呼しても、良く聞こえ無いし、何を訴えて居るのか分からなく、只うるさいと思うだけでお気の毒に思います。投票も意志ある方は配られた公表を良く読み自分の意志で投票するのですから、名前を叫んで通り過ぎても無駄だと思うのですが。

2007年4月18日 (水)

選挙1

度々に鳴る電話みな候補者でわかりましたとどの党にも言う

身近な選挙が近づいて今迄掛かって来なかった人から電話が掛かって来て、いちいち不自由な身体で電話を受ける。一人なのでどうしても誰か分からないので出て仕舞う。其れが殆ど私相手に限らず選挙の投票依頼の電話。
「はい分かりました」「帰りましたら伝えておきます」とどの党の方にも同じ答え、投票は頼まれて入れる物では無くちゃんと色々調べ当人の意志でいれるものだと思います。本当に迷惑な、無意味な電話だと思います。

2007年4月17日 (火)

長く籠りて

乗り慣れた電車デザイン新しく久しく見ねばよその駅かや

何十年乗り慣れた東横線、何処へ出るにも学芸大学の駅は便利で、横浜、銀座、渋谷、と当たり前に乗りこなしていました。然し数年前から何処へ行くのもタクシー、電車の音さえ聞かなくなり、そうなると矢張り電車が懐かしく、もう一生乗れないのかと思うと凄く寂しい思いでした。
先日孫がそんなに乗りたいなら今はエレベーターがあるから連れて行って上げると、本当に田園調布の教会まで連れて行ってくれました。先ずエレベーターでホームまで行けるようになっていて、電車がデザインも変わり横浜の中華街まで直通に驚き、終点だった桜木町は無くなり、余りの変わりように、目を見張り、久しく籠って居た事に気づきました。
いいですね、電車に乗れる事は、あたり前の事が珍しく、自分の駅も自分では切符も買えない程変わっていました。まるでよその駅みたい、今様浦島です。

2007年4月16日 (月)

老いは認めつ

老いてなお老いの扱い受け難しせめて頭と話題だけでも

確かに老人に入るのだが、先日新しいケアマネージャーが見えた時のこと、引き継ぎの方が“寝たきり”と書いて有るらしく、自己紹介の後「お婆ちゃん色々伺いますが何方かいらっしゃらなくても分かりますか?」「何の事でしょうか?私の事なら何でも分かりますよ」から始まってお決まりのケース色々話し出しました。
黙って聞いて居ましたが「別に制度が変わったと言う事は有りませんね。何か此方からお願いしたい事が増えましたらその時は申し出ますから宜しくお願いします」 何と自分で判断出来ない年寄りと決め込んで話していたらしく、「失礼だけど貴女おいくつ?」と聞いたら、「もう年なの、52歳」そこで「50歳、60歳は女の盛りなのよ、自分で年だからと決めても国で認めて呉れないわよ」など色々話をして、「此のパソコン○さんがなさるの?」「そうよ」「私は出来ないの」「其の若さでパソコン位なさったら?」と、来た時と立場が反対になり「色々教えられました」「身体は利かないけれど口は未だ達者だから」と笑って話終えました。でも老人なのだから仕方無いと少し寂しくなりました。

2007年4月15日 (日)

プラン

ゴールデンウィーク近づきプラン練る旅にはあらず急病の時

今年も長いゴールデンウィークのおやすみが近づき、周りでは色々旅行や、過ごし方の計画を練っている。然しその間は病院やお医者さんがお休みになる。私は何故か此の休日になると救急で病院に行く事が多い。然し家人をも巻き込むので細心の注意はするのだが、悩んで居ます。一人で病院にいけないので。いつもの家庭医の先生も今年は家族で別荘に行かれるとの事、何時どうなるか分からないので、家人の動向等も書き込み色々其れなりのプランを練っています。本当に不思議な事におやすみの日に病気になる事が多いので、今からそんな心配をしています。(本当はイタリーに行きたい夢を持ち続けていました。行ける時に無理しても行けば良かったと後悔しています。チャンスはあったのに良くなってからとキャンセルしたのを。)

2007年4月14日 (土)

病んで知る健康の有り難さ

病み居らば分からぬ幸せ多かりき健康と言う宝持ちいて

人間一度しかない人生、色々希望も欲望もやりたい事が沢山有る。持っている時にはあたり前の、「健康」と言う宝物の存在を意識せず、美しく成りたい、リッチな生活をしたいと、上を目指して歩んで居る。此れが当たり前だが自分の思いが叶わぬと色々不満を持ち愚痴をこぼして居る。然し病んでみるとそんな悩みは小さい事だと思えました。歩けて、働けて、食べられて、人の世話にならず、世の中に少しでも貢献出来ると言う事は、素晴らしい宝物を持って居る事だと思います。今何億というお金にも何の魅力も感じません。勿論あれば、苦しんで居る方々の為に寄付できますが。一番欲しいのはやはり健康ですね、年相応の。叶わぬ夢ですが。健康より美を追い求めている人があまりにも多いので。

2007年4月13日 (金)

虚々実々

虚と実の混ざりし中に人は住む善と悪とは振り分け居れど

美しい国とはどういう言う国なのか。昔の様に自然に満ちあふれて居て、全ての人が善人で人情家で、宮沢賢治の詞の様に雨にも負けず風にも負けず。でも其処から脱皮して今の世が有るのだからややこしい。
生きて行くには、良い意味でも悪い意味でも色々駆け引きが有る。政治の世界では自国だけでなく外交で裏とか表の取引、企業間でも当たり前、今マスコミが我々の知らない所迄出して呉れるので、余計虚虚実実と言う言葉を思い出しました。考えれば日常私達もお互い相手を思いやってスムースに運べる為虚と実を上手に使い分けて居るのですね。善と悪とはきちんとけじめをつけて。
今日病院で先生が「癌とか悪い物は有りません。後は主治医に聞いて下さい」とおっしゃったが問題はあるみたい。一応安心? 此れも虚と実か。

2007年4月12日 (木)

早すぎるかな?悩み

あまりにも日々の立つのが早すぎて今から梅雨の前線悩む

もう4月も半ば、此のところ雨ばかりで体調悪く、つい今から梅雨が来たらどうしようと悩んでしまいます。何しろあっと言うまに月日が経って行くので。空梅雨でも困るし、と言ってあの長いじめじめした雨の続くのは凄く辛いし。自然の事は分かりませんが、私個人は毎日晴れて欲しいです。明日は日赤で腸のファイバースコープ。嫌な外出です。

2007年4月11日 (水)

アンタレス(さそり座)

数多ある星の中から選びしは吾がこだわりの緋のアンタレス

昔から星を眺めるのが大好きでした。何か神秘で願いを叶えて呉れる様で。
私が11月生まれのさそり座なので、プラネタリウムに行った時にさそり座を探し、その中の一番緋色に輝くアンタレスに魅かれ、其れ以来勝手に私の星と決めて来ました。召されて行けるならアンタレスに住みたいと願っております。
満点の星空を眺めた時に自分の星があると思うと、誰にも無い宝を持って居るようでたのしいです。

2007年4月10日 (火)

桜ちりて

葉桜もそれはそれにて風情あり見る人和む産毛立つ葉に

一年間待ちわびた国花の桜もとうとう散って仕舞いました。そして後を追うようにもう柔らかい葉が産毛立つように映えてきました。葉桜と言う様に矢張り風情がありますね。此れから緑の多い季節初夏に向かいます。待つのは長いけれど、時の過ぎるのは本当に早いですね。でも何故か春のうららと言う感じが有りません。寒さの所為でしょうか。

2007年4月 9日 (月)

希望を求めて

丸き背を更にこごめて老い二人何を希うか選挙にと急ぐ

昨日孫に連れられて思いきって選挙にいきました。年寄りにも政治に色々期待する事があります。今迄身体が悪いので全て諦めていましたが、決して満足して居た訳では有りません。だから口だけで色々政治の話もして誰かに不満を言って居ました。でも昨日孫に連れて行って貰い一票入れ此れで何でも言えると思いました。私達の前をお年寄りの夫婦が背中を丸めて、一生懸命選挙会場に入っていきました。矢張り夫々の希望を持ってわざわざ歩いていらっしゃるのを見て、政治家の方には此の大切な票を無駄にしない様に、しっかりとお願いしたいと思いました。

2007年4月 8日 (日)

孫に引かれて選挙

初選挙誇らし気なる孫の顔車椅子押し吾も連れ行く

孫にとっては成人以来始めての待ちに待った選挙、何か本当に大人を自覚し人からも認められた気のする選挙。私は動けなく成り、何年ぶりかの選挙、恐らく最後になると思う。
迷っていたら「政治に大きな口出しを出来るのは選挙の一票を入れてからだ」と、出た事も無い私を車椅子に乗せて投票会場まで連れて行ってくれた。
矢張り気分はいい。彼は自分の母校で久しぶりに友達にも会い懐かしがっていた。感無量だと思う。
帰りに懐かしい道を通り、家の前の公園で姥桜を見て太陽に一杯当たってきました。忘れない一日です。

2007年4月 7日 (土)

心に残る花

ひっそりと心捉えしスミレ草芭蕉の目にも留まりし花

華やかな花に溢れている庭に目立たずひっそりと隠れて咲いている、昔のスミレ草。余り手入れもせず、でも野草。強く今年も咲いているのを見つけほっとしました。よく見ると控えめで、清楚な何気なく見過ごして仕舞う程心を引きつけて離さない花。本当はスミレ、母子草、なも知らぬ黄色い小さい、見過ごして仕舞いそうな花を集めたいと思います。私の性格かも。

2007年4月 6日 (金)

私の八重桜

吾が命決めて育てし八重桜幹は枯れしが細々と咲く

20年前園芸店で鉢植えの小さい八重桜、花は数輪しかないが可愛く、八重桜の鉢植えは珍しく直感的に此れだと買い求め、大事に育てました。以来お花見に行かなくても、この花が咲くとテーブルの上に置き、一日中お花見をしていました。
其の桜、私が首の手術をした年に何故か幹が枯れ、駄目だと思っていましたが脇から細い枝が出て、其れが今大きく1メートルになり美しい花をつけて呉れます。実は首の手術の後、生死の間をさまよい苦しい毎日でした。その頃桜も枯れかけていたのでした。新しい枝が出て再び新しい花を咲かせた時、私も持ち直しこの花とは命が結ばれているのを感じ、吾が命と思い大事に育てています。鉢植えなので手を抜くと枯れます。今盛りの美しさです。こんなに大きくなったのに今もテーブルの上に、ライトアップを受け綺麗です。

2007年4月 5日 (木)

綿の花

点滴が入らず増える綿の花痛いと言えず一緒に探す

飲み薬が効かずラシックスの点滴。浮腫が怖く、何時もの事だけれど、血管が細く固くなって中々入らない。でも入れなければ成らない。何処でも良いからと両手を出すが、思う様に入らない。その度に綿をテープで止める。入らない度に其の綿の数が増え綿の花が咲いて行く。
手の甲は勿論親指の付け根にまで「此処は痛いけどご免ね」と、必死なのが分かるので「大丈夫」と答える。両手に綿の花が咲いて見た目は華やか。やっと入るとほっとする。
看護婦さん曰く、「私のゴールデンフィンガーも鈍った」。実は先生も同じ、結局私の血管が使い過ぎで駄目に成ったのと、ベテランの方の使う外から見えない所が使えない事なのです。此れから先が案じられます。痛いのは嫌だから。

2007年4月 4日 (水)

花の降水(香水)

とりどりの色重なりて咲く庭の花くぐり抜け春雨地に浸む 
とりどりの色重なりて咲く庭の花くぐり抜け春の雨降る ?                                                    
                                                      
暖冬の所為か庭に落ちた花の種が沢山芽を出し、今年は桜草はじめ色々の花が重なりあい美しい。其れなのに雨。でも今日の雨はしとしとと、音も立てず優しい春の雨。其の花群れをくぐり抜けて地に浸みこむ雨はきっと良い香りの雨でしょう。

2007年4月 3日 (火)

慰め

お天気の所為だと自分慰めつ苦しき胸に薬塗り居り

今年は特に気候が不順だ。此の桜が満開と言う時に雨ばかり。此の気圧や雨の前線が来ると痛みや、筋肉の萎縮で胸等が苦しく成る。本当は未だ病気が進行しているのだが、「雨の所為だから、お天気に成れば良くなる」と、自分で自分を慰めながら、気休めの筋肉痛の薬を塗れる所に塗っている。
本当の心臓の苦しさで無いので、少しは楽に成った所で自分の事は殆ど最低ながら頑張っています。
此の痛みを顔に出さず、自分が一番良く知っているのだから無理はしません。病気には負けないつもりです。  
「明日天気になーれ」

2007年4月 2日 (月)

記憶(年の所為?)

お風呂にて良い歌浮かび覚え込みパソコンの前座れば出でぬ

矢張り歌の事が気になるのか、お風呂に入りのんびりと歌を考え出した。急に此れは良いと思える歌が浮かび、色々推考して、今日は此れにと、忘れない様に何回も覚え込んだ。そして上がってからいつもの様に色々支度して、さあ書こうとパソコンに向かった。何とあんなに良いと思った歌が全く忘れて出てこない。せめて情景だけでも思い出そうとしたが、何も出てこない。自信を失い悲しくなった。忘れる位だからどうせたいした歌ではなかったのでしょうが、あれだけ頭に入れたのにと思うと、記憶は曖昧だと知りました。

2007年4月 1日 (日)

デモス・クラテイア

その昔デモクラシーを熱弁で説きし君今逢えば良きじじ

私の弟の家庭教師をしてくださった、当時一高の学生さんだった其の人は、私みたいに個性のない只おとなしいだけの学生が歯痒かったらしい。戦後民主主義が論じられた頃、私が「学校のレポートにデモクラシーについて書こうと思う」と彼にアドバイスを求めた所、「デモクラシーは古典ギリシャ語でデモス(人民)クラテイア(権力、支配)と言う言葉が一緒になってデモクラシーと言うんですよ」と延々と内容から始まって政治のこと、共産主義に付いて迄話が発展し、簡単に民主主義と理解していた私の頭はゴチャゴチャに成りまとまりが付かなく成ってしまった。
翌日「簡単だけど纏めたから」とレポート持って来て下さった。其れを其の侭学校に提出してしまい、勿論ばればれで先生から呼び出され逆質問にあい「貴女の言葉で書き直していらっしゃい」と温情。あれから一高T大とお決まりのコースを進まれ、3年前に偶然お友達から「彼が逢いたがっている」と連絡を受け再会しました。
「貴女は一つも昔と変わっていないなあ。」と第一声、色々閉ざされた時の流れの話をして別れましたが、彼は多いに変わっていて孫の話に相好を崩す只のお爺ちゃんでした。只、政治の話になると眼光が一瞬鋭くなり「内面は変わらないのかなあ」と思いました。

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