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2007年3月

2007年3月31日 (土)

枯れ草に花

暖冬の煽りを受けてサルビアが冬眠したるか咲きいだしたり

今庭は桜草が一面に咲き誇り賑やか。その中に青い葉に守られ真っ赤なサルビアの花が見事、今年一番の開花
確か全部枯れた筈なのに、暖冬のおかげで、枯れた様に見えて冬眠していたのかも知れない。いずれにしてもサルビアが年を越したのは始めて。他にも探せば何か有るかも知れませんが、雪は見損なってしまいました。
桜満開だそうですが寝ていて未だ見て居りません。散り始めるとガラス越しに美しい花吹雪が舞い落ちます。

2007年3月30日 (金)

賞味期限

この前と一言いえば何年前?孫娘笑いぬ見れば去年

この頃何でもつい昨日の事の様に思えてすぐ「買ったばかり」とか、「来たばかり」とか言ってしまう。孫は余りきつくは言わないが、食べ物は賞味期限を見ている。娘達は「ままの昨日は当てに成らない。二年も三年も前の事がついこの間だから」と言われ自信がなくなってしまった。
冷凍食品は特にすぐ期限が過ぎてしまう。昔の人は匂いや見ただけで良いか悪いか判断し間違えなかった。今は冷蔵庫も冷凍庫も保存の利く時代、そんなに気にしなくても物を確かめればいいのに、簡単に捨てて仕舞う。期限の記入が義務づけられて居るから仕方無いが。
実は食品以外の事で話す時は、本当に何年も経って居るのに「この間」等と言って仕舞い反省しています。年の所為かしら? だから今は何処でも聞かれる病歴等はきちんとワープロで印刷して何時も持って居ます。

2007年3月29日 (木)

可愛いいギヤング

咲き初めし桜(はな)惜しみ無く散らし行く小鳥のしぐさ見れば愛しき

やっと開いた桜、まだ色もピンクにも成らぬ咲きたての花を花ごとぱらぱら片端から落として行く小鳥。蜜を根元から吸うのか目的は知らないが、此れから満開に成るのに水々しい侭地に落とされて、酷いと思い見ていたら、如何にも楽しげで無邪気。人間と同じように開花を待って居たのかも知れなく、勿体ない事をすると同時に、其のしぐさが可愛く思えました。  何故?小鳥に聞かねばわかりませんね。

2007年3月28日 (水)

感謝は何処

人にみな頼む身成れば気がね有り痛みと我慢不満の重し

こんな筈では無かったと言っても、現実は自分一人の力では生きていかれない。今の介護制度では私の場合余り頼れ無い。一日中付いて貰う訳にも行かず、配偶者が健康な場合は色々の制度は生かせないと、看護婦さんの話、其の元気な旦那様は自分の人生を如何に充実したものにするか一生懸命。生死に関わる事で無い限り、強要は出来ない。孫は黙っていても先回りしてやって呉れるので甘えて受けて居ますが、勉強で大変な時。モルヒネを拒否しているので、痛みは全て歯を食いしばって我慢しなければ成らない。対処療法の痛い身で頑張って居ますが矢張り全てが重なって不満も出て、感謝しなければ成らない立場なのに、弱気な自分が疎ましく感じます。
 痛みさえ無ければ有るが侭の人生のんびり楽しみたいのですが、不満等無く。

2007年3月26日 (月)

悲喜交々

春なれば桜桜と浮かれしが不意の災害日々起こりうる

何時どんな災害が起こるか人には予想出来ないが、春ともなると矢張り桜の花見と皆楽しみにしている。然し事が自分の上に起こるとそうは行かない。仕方の無い事だが、今度の能登の地震で其の方々はお花見どころでない災難。他山の石で無く何時我が身の上と考えると、用心の出来ない事だけに考えて仕舞います。だからこそ楽しむ事が出来る時に楽しむのが良いのか。自然の災害は仕方ないが、人災だけは防げるのだから一人一人マナーを守って気を付け無ければと思いますね。

2007年3月25日 (日)

芽吹き

枯れしかに見えし紅葉の芽吹きいて日々臥す吾の希望とならむ

体調が悪い所為か、私の小さな紅葉枯れて仕舞ったのかと心配していたが、小さな新芽が芽吹いて来てほっとしました。此のところ寝てばかり居るので、何か力が無かったけれど、此の芽生えで力づけられ、毎日成長を見ながら頑張ろうと思います。私の場合目に見えない筋肉が萎縮して胸が苦しく成ったり、厄介な病気です。皆様も夫々頑張っていられるのだからと、甘えてはいられませんが。

2007年3月24日 (土)

何の花

蕗のとう取り残したる花開き何の花かと見紛う高さ

さすがに寒くても春。色とりどりの花が咲き揃ったにぎわい、その中に三本程白い花が一人前に手まりの様な花が咲いて居る。看護婦さんが目ざとく見つけ、ひょっとしてあれ蕗のとう?見たら40センチ程伸び花もばっちり大きく手まりの様、結構色花の中に映えている。食べ損なったのが惜しいのか、残して花を見たのが良いのか分からなくなりました。たかが蕗のとう、されど蕗のとう、と言う感じ。  桜はまだまだ寒さに震えて居ます。私も真冬支度。

2007年3月23日 (金)

蕾も花見?

余りにも早き開花宣言に戸惑いおりぬ蕾の花見

私の家の前は小さいが桜の多い公園。毎年町会でお花見の会をやって居る。昼は子供達、夜桜は大人が対象。然し今年は、気象庁の開花宣言が早かったので、手分けして日時を早めぼんぼりを飾り、甘酒その他色々用意をしたが、肝心の桜が開かない。毎日数えて数輪、夜は寒くストーブを入れて居る。今更日時を変えられ無くて、役員はいらいら「気象庁が悪いんだ」とお気の毒。上野でも同じ現症が起きて居るらしい。一年に一度の華やかな行事だから仕方ないけれど、桜が満開になったらお花見をすればいいのにと、個人では考える。今になってインフルエンザーが流行して孫もタミフルをのんで寝ていて、私も体調悪くお花見には関心はないのだけれど。

2007年3月21日 (水)

一年の計は元旦にあり?

お正月おひな祭りと点滴の管抱えつつ今年は祝う

今年は元日から朝晩点滴、おひな祭りも点滴、何となく嫌な予感がしていたら、立て続けに膀胱炎で点滴ばかり。
そして先日突然の腎盂炎で救急入院。その後叉点滴、何か今も体調悪く血圧が80位に下がり、中々上がらず。塩分はいけないと言われ上げようも無く寝ていますが、此れではお花見の気分にもなりません。「一年の計は元旦にあり」の言葉通り、元旦に寝ていたので今年はこんな事ばかりの続きかと落ち込みます。周りの人を捲き込まない様にと願うだけです。
(孫が昨日から熱を出して、自分の部屋に移りました。風邪らしいのですが私に移したら大変と。私は自分より孫の方が心配で溜まりません。)

2007年3月20日 (火)

ポーカーフェイス

心中を面に出さぬ積もりでも顔色と言う伏せ兵のあり

この頃体調悪く、これ以上皆に迷惑、心配を掛けたく無い。苦しくても、病気の事は人に分かって貰え無いし、自分を一番分かって居るのは自分なのだから。無理をしない様に調整し、最低の事で澄ませ、休む様にして居ます。でも一番近くに常に心配して呉れる孫の目はごまかせない。「ばば具合悪いでしょう?」「ううん、別に」「でも顔色が悪い」と見抜かれて仕舞う。仕方なくやって貰い休むが、「どうして」と不思議に思う位言い当てる。嬉しいが。
そういえば私は病気の事では無いが昔からゲームをやっても顔に現れポーカーフェイスの出来無かった事を思い出し顔は物を言うなと感心しました。

2007年3月19日 (月)

降雪

東京に雪が降ったとニュースあり吾が目で見ねば実感の無し

東京にとうとう今年は雪の降らない珍しい年だと思って居りましたが、東京に雪が降ったと、ニュースが有り、何時?とびっくりしました。一年に一度雪を見たかったので待って居ましたが、今年は降らないと記録的な年と諦めて居りましたのに、本当に知らない間に降ったそうで、何時も外ばかり見て入る私の目にはいらなかったので、信じられません。何の形跡も残らず。孫が「そんなに見たいなら二階から紙吹雪を蒔いて上げようか?」と「冗談じゃ無い」と笑ったが信じられません。
今もストーブ入れるほど寒いのに、お花見とか変な年ですね。

2007年3月18日 (日)

歴史伝うる

夕靄に静もる宮居の杉木立見上ぐる梢天雲に入り
夕靄に静もる宮居の清しさよ歴史伝うる杉木立かな

寝ていても一日、何時どう変わるか分からない、娘夫婦に無理を承知で頼んで、思いでの鎌倉に連れて行って貰った。北鎌倉の側の円覚寺に夕方閉園間近、人気は無く夕靄の中長い歴史を伝うる太い杉木立の中、唯々じっとたたずみ身の清まる思いでした。感無量。

帰り何も口から発する言葉が有りませんでした。高い梢の先が雲の中から天に通じて入るようで、明日から心静かな日々を過ごせそうです。

2007年3月17日 (土)

忘れえぬ味

キリタンポ始めて食みし十和田湖のほとりの屋台味噌味一本

一寸無理しましたが、一度はと思って居ましたので数年前、十和田湖に連れて行って貰いました。景観は脳裏に焼き付いて居りますが、道路の脇に屋台が有り、「キリタンポ」と書いた布の旗がひらめいて居り、思わず「食べたい」と一本買いました。竹の串に刺し焼いて味噌味の細いちくわ見たいな、物でした。何しろ始めてで、しかも道路で歩きながら食べたあの素朴な味、今も忘れません。都会では味わえぬ解放感も有り、お行儀は悪いが懐かしいです。

今になってお天気が定まらず体調悪く寝てばかり、突然あのキリタンポの味を懐かしく思い出しました。

2007年3月16日 (金)

写真

死ぬ準備している訳じゃないけれど飾る写真を孫と選びぬ

お葬式で「こんなに若く綺麗だったかしら?」と思う写真が多く孫と色々話し合った結果、「僕は今のばばが良い、着飾ったばばより何時も側に居るようで」と孫の成人式にツーショットで摂った中から此れにしようと決めました。お化粧もしていないが、孫の立派に成人した喜びが自然に溢れ「表情が暖かい」と言われ。(本当は若い時の美人の方が良いけれど、此れだあれ?と聞かれそうで、うぬぼれ?)

2007年3月15日 (木)

代々受け継ぐ

吾が使う父の形見の鼈甲の眼がねやがては孫に伝うか

此の眼がねには一寸したエピソードが有るのです。今も鼈甲の眼がねは、手に入らないのですが、父がある日眼も悪くないのに此の鼈甲の眼がねを掛けていました。当然母に見つかり、高価な伊達眼がねに腹を立て、そっと仕舞ってしまったのはいいけれどやり場に困り、私に預けたのです。父も何処かに置いて来たのかと思い一応探したらしいのですが、物が物だけに母には聞けず、私も出す訳にも行かず一度掛けただけ。其の侭預かって居て、若し母が先に亡くなったら父に渡そうと思って居ましたが父が先に亡くなり渡す機会が有りませんでした。晩年父が老眼になり普通の眼がねを掛けているのを見て、心痛みましたが其の侭忘れていました。
父も母も亡くなり、忘れていた頃にタンスから出てきたので、レンズを入れ替え私のパソコン用として毎日使って居ます。眼がね屋さんにレンズ入れに行った時「素晴らしい眼がねですね、譲って頂けませんか?男性用だし、新品ですね」と思わぬ金額を示されました。金額が桁外れなので一瞬迷いましたが、飛んでもないと反省し今も大事に使って居ます。流行の無い形なので年を摂れば皆似合うそうです。でも私には男の子が居ないので、いずれ父の血を引いた孫に使って欲しいと思います。「お父さんご免なさいね、でもお母さんの気持ちも良く分かるので」と心の中で謝って居ます。孫も使う積もりで居て嬉しいです。四代目になりますね。

2007年3月14日 (水)

ため息

ため息をつくと寿命が縮まると言われつやまず未だ生きている

たまに来た姪から「伯母ちゃん、ため息ばかり付いていると、一回に一年寿命が縮まるよ」と余りにもため息ばかり付くので注意され「そうね、有り難う、もう言わない」と約束したそばから「あー」っとため息、その時は笑って終ったが、今つい口から出るのはため息ばかり、姪の言葉を思い出しながら、でも未だ生きているとつい可笑しくもなるが、楽しい事にはため息はつかない、矢張り心の中に出口の無い悩みが偶って居るのだなーと思った。
血圧の低い所為か寝てばかり居る私に、点滴に来た看護婦さんが「はい、お土産、懐かしいでしょう」と焼き立ての鯛焼きを持ってきて下さった。本当に懐かしく「泳げ鯛焼き君」を歌って楽しみました。

2007年3月13日 (火)

初音

餌を探す鴬らしく枝枝の微かに揺れて声移り行く

鴬がやっと鳴きました。何しろ小さくすばしっこいので確かめるまもなく木瓜の花密を吸っているのか、何か餌を探しているのかチョコチョコ動いて木の枝枝を揺すって、でも今日は「ケキョ・・・ケキョ」と泣き声が見えないけれど移動して行きました。何か鴬の初音を聞いて未だ都会にも自然が残っている事を思い嬉しく成りました。

未だ点滴、体調悪く孫に「顔色が青いから寝ていたら」と言われのんびり休んでいます。血圧が80なので其の所為かも知れません。高いのは下げられるが低いのは上げられないそうです。ビール飲んだら上がると良いけれど。

2007年3月12日 (月)

生きている内

吾が病重く受け止め其の裏で好きなスポーツ開始待ちおり

今日も日赤。先生方が腎盂炎と叉すぐ膀胱炎で今点滴中、それに血圧が80に下がり、だるいのを訴えたので凄く心配なさって、「何か繰り返しを止めなければ。此の体力と病では、普通の人の様に透析は無理なので、まず今の治療が終ったら、方法を考え無ければね。現在少しでも尿をアルカリから酸性に変える方法を試しているので実行に移したい。」等、此の侭では駄目と色々病気の怖さを忠告され、余りにも呑気な本人を叱咤されました。
麻酔科で注射を打った後、先生が「休んで」とおっしゃったが、帰ってもまた点滴が待っているので、看護婦さんに頼んですぐ帰り、今点滴が終わりようやく少し休みました。お昼抜きなので、エンシュアリキット飲んで着替えに起き上がり、ついでにとパソコンに向かい、日記の積もりで短歌らしくないのですが書いています。
来月叉腸の内視鏡があるので、それまで病気しない様に少し安静にしなければ。重大な病状にあるのは心で受け止め、もうじき始まる色々なスポーツの開始が待ち遠しいです。大きな病気で有る事を認識したからこそ好きなスポーツのテレビ観戦を生きてる間にと考えています。本来の呑気者でありたい。

2007年3月11日 (日)

安心出来る世の中に

晩年の吾が定めをば悲しめど今の世の中酷き事多し

余りにも長い、楽しみにしていた晩年の病もつ人生。矢張り取り戻せない悲しみが悔やまれる。然しこんなに科学の力で物事が過ごしやすくなった筈なのに、人の心はすさみ、考えられない酷い出来事が多く続く。人のふり見て吾がふり直せと昔の人は改めたのだが、今は悪い事を反省もなく逆にまねる。先ず人の命を大事にして欲しい。それから文明の利器を駆使して楽しい便利な世の中にと考えて欲しいですね。こんなに病気と闘って苦しんでいる人が沢山いるのに。阿倍総理、美しい、安心出来る国をお願いします。

2007年3月10日 (土)

春の夕暮れ

ぼんやりと眺むる空に一片の茜雲ありとどまりしごと

今日もやっと一日過ぎたなあと持て余し、未だ少し青い空をぼんやりと眺めていたら、犬の形をした一片の雲が美しい茜色に染まって、眺めている私の心を知ってか、全く動かず輝いていた。沈む夕日とは違い青い空に浮かんでいるのが色の濃淡が有り芸術作品の様で心を捕らわれ見つめていました。動かない様でやがて形を変えながら、お隣の屋根の影に消えていいきました。動けぬ私に自然の造形のプレゼント、こんな事でも嬉しいです。
今日医師と点滴の後人生について色々話し合いました。多くの病人を見ていられるので内容も深刻でしたが。

2007年3月 9日 (金)

頭を空にしたい

思い病み春の花野に寝てみたい青濃き空の浮雲追いつ

春になればと待ち焦がれし季が来て嬉しい筈なのに、痛みは期待通り安らぎましたが、今度は考えていなかった内蔵が次々と意地悪な手を広げて来て良く成らず、丿ー天気の私も参りました。色とりどりの春の美しい花に満ちあふれた花野に大の字に寝て青い空に浮かぶ白い雲の動きをのんびりと眺めていたらどんなに楽しいだろうと考えて夢を見ています。何も考え無いで頭の中を空っぽにして。良い気持ちでしょうね。

2007年3月 8日 (木)

可愛いい訪問者

未だ鳴けぬ鴬のつがい訪れて木瓜の枝枝揺すりて去りぬ

やっと春らしく暖かい日差しのなか、此のところ毎日の様に鴬の番が訪れる。メジロの様に目立たないうえに未だ鳴けない鴬、何故か木瓜の混んだ枝のあいだが好きらしく、何をついばむのかチョコチョコ動いて枝枝をゆすり何処かえ去って行く。此れで「ホーホケキョ」と鳴けば最高だが、毎年訪れて呉れるので嬉しい。早く鳴ける様になりあの澄んだ声が聴きたい。
点滴の効果が遅く落ち込む。

2007年3月 7日 (水)

本当の理由

これ以上積極治療成し難し検査も同じ納得悲し

繰り返す膀胱炎に「大病院での治療を」とわざわざ回され、「今落ち着いて居るから様子を見ましょう」と言われ様子を見ている内に急の高熱痙攣で救急入院、初めての腎盂炎。一応色々の点滴等で収まり、退院して4日目から叉抗生剤の点滴を訪問医から受けています。退院の時病院から「此方の先生に」とお手紙を預かり、その内容を看護婦さんから聞いて納得しました。今の私には、「積極的な検査も、治療も出来ない、やれば何をやっても却って悪く成るから、対処療法で静かに見守りましょう」と書いて有ったらしい。だから今迄抗生剤の打ち過ぎを先生方も気になさっていらしたが、今度先生方が話し有ってこういう結論に成ったらしい。
薬の副作用等重なり、私は「なるほど仕方ない選択」と納得しましたが、今は一番親身になって私に尽くし、守って呉れ、精神的には頼りに思って呉れる孫の大切な大学以外の試験を目指して勉強して頑張っている大事な時期、がたがた心理的な影響を与えたくないので、明るく頑張るしか無いのです。神様に「もう少し生かせて下さい、孫の為に」とお祈りしています。看護婦さんは医原病だと言っていますが。脊髄損傷の大変さを叉認識しました。退院の時に若い先生が「○さんが一番辛いのですね」と手を固く握って下さった理由が分かりました。「聡明な方なのに」とお世辞でも嬉しく思いました。

2007年3月 6日 (火)

落語では有りません

お婆ちゃん今日は塩分摂りすぎよ真顔で答う饅頭喰った                            (短歌では無いけれど)

私が減塩食で元東北で保健婦さんをしていらした方のアドバイスを受け、「自分では調味量として摂って居なくても、半片等市販の物や出汁の中に塩分が含まれて居るからそれも一応気をつけて」等と言われ、「色々未だお年寄りの方で勘違いをしている方が多いのよ。東北でお年寄りの健康管理をしていて、あちらでは、お茶請けにキュリや茄子の漬物を出すところが多く、塩辛いのでどうしても血圧が高くなるの。説明して沢山食べないように注意するんだけれど、良く分からないらしくて、辛いものを摂りすぎたらその分甘い物を食べたら帳消しになると思って居るのよ。」と、その時の会話を聞いて書きました。
減塩食に慣れましたら市販の物は塩辛く感じます。今日も点滴。

2007年3月 5日 (月)

初選挙

成人の証となりぬ初選挙都知事選へと孫意欲持つ

孫が一昨年成人の誕生日を迎え、今迄政治のあり方を論じて来たが、選挙の機会が一度もなく、やっとめぐって来たのが都知事選。パソコンで真剣に立候補の方を多方面から彼なりに調べて居る姿を見て、若さと矢張り成人を意識してやっとの事で選挙権を履行出来る喜び?が感じられ何か頼もしく思えました。
「棄権は良くない、車椅子でも連れて行くから」と。後で文句を堂々といえると孫に諭されました。その後は参議院選だと、意気込んで居ます。勉強で忙しいがこれも立派な勉強で有り、義務なのだと思いました。

外は春の嵐、立候補の方々も大変ですが、私も叉今日から抗生剤の点滴が始まって仕舞い当分大変です。

2007年3月 4日 (日)

季は移ろう

日記には昨日に同じと続けしが季は移ろいて春の陽注ぐ

毎日同じ時間に起き、食事、薬飲み、新聞見て休み、外を眺め、本を少し読み、叉食事、薬、休みの日等も何もせず、何処にも行かず、夜寝るまで、判で押したように全く同じ。悲しいかな食事もミキサー食毎日同じもの。コーヒーを飲むか、紅茶を飲むかの違いだけ。
だから日記も面倒で、この頃は日付けが進むだけで後は昨日に同じ、だけ。然し日差しは何時か柔らかい春の暖かさ。季節は知らぬまに移って行く。温暖化に関わりなく。此の昨日に同じの日記を書きつつ、今迄何が生き甲斐?と嘆いて居たが病気の急変で、病気には未だ先が有る事を知り、治ら無くとも、昨日に同じは私に取って幸せな事だと思いました。

2007年3月 3日 (土)

不安だが

一人居の不安持ちつつ気を使う人と住まぬと友等言い切る

私の入院を知り友が早速お見舞いに来てくださった。一人だったら死んで居たかも、と話したら未亡人で一人暮らしの方は多く、息子さん夫婦、娘さん夫婦が皆居られ、心配だから同居と誘って呉れるが、わざわざ近くに家を借りたりしながらも一緒には住みたく無いと言い切られた。普段から健康に気を付け、もしもの事が有っても連絡が間に合わず天国に召されてもそれはそれで良いし、お嫁さんとは今は優しく仲良くお互い間を置いて、気を使わず自由に暮らしたいと。
私は今回孫が側に居てくれたから生きていられた。皆は未だこんな経験しないから仕方無いと思いつつも、お嫁さんや、お婿さんに気を使いながらの生活は身体が利くうちは嫌だな、相手にも気を遣わせるからと思い直した。然し真剣に今後の介護の事等考えなければと思います。今は一人で身の回りの事が出来るけれど。お友達では無いが、其の侭天国に召されるのは心配していません。

2007年3月 2日 (金)

目出度き庭

白き木瓜咲き始めたり紅白の目出度き庭よ終の春かも

先に亡き母の形見の赤い木瓜が開き三月に成り白い木瓜も開き、紅白の木瓜、梅ではないがお目出たい庭
今まで白い木瓜には関心がなかったが、改めて紅白なんだと、見とれて居ます。然し日々体力も、気力も薄らいで行く今、若ししたら此の紅白を見られるのは最後かなと寂しく思いました。強気に生きて来たがどうにも成らない事が分かり、此れからは今より一日一日を気張らず、のんびりと、ぼちぼち出来る事を楽しんで生きて行きたいと思います。がんばりやの名前が少し重いかな。

2007年3月 1日 (木)

救急入院

  本当に突然の入院、お世話になって居りました。
  皆様其の間も色々有り難うございました。
  先ほど退院致しましたので、今後共宜しくお願い致します。

突然に痙攣と熱救急車意識有れどチューブが囲む

お風呂から出て何時もの通りつまらぬブログを書き終わり保存を押そうとした途端、何の前触れも無く身体中に痙攣が来て、一ヶ所がどうしても押せずぶるぶる。100発一中やっと終った途端手も足もぶるぶる、薬も何処かへ飛んで訳も分からぬ事になって。孫が私の顔を見てすぐ119番して娘と主人を起し、救急車到着、説明出来たのは孫だけ。痙攣で血圧も熱も計れなかったらしい。
病院ではインフルエンザと間違えそちらの検査。実はもっと恐ろしい腎盂炎、熱は42度、血圧198、本人は意識はっきり、先生方は大変、集中治療室に運ばれ意識が無くなり、気が付けば点滴の管でがんじがらめ。娘はお葬式を考えたそうです。
お陰で命は助かりましたが、今度は熱が下がらず血圧は70よりあがらず足を高くされたり大変でした。
やっと熱も血圧も平常にもどったので見通しは甘くないのですが話し合い、続きを近所の先生にバトンタッチ。
で今日3月1日に退院して参りました。心配そうな先生に見送られながら。悪くなったらすぐ入院と言う事で。厄介な病気ですが頑張ります。本当は苦しいです。

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