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2007年2月

2007年2月25日 (日)

二度有る事は三度有る

そそかしき吾の行動慶応の池田先生悩み居りとか

もう何十年前の話。その頃慶応大学の教授、池田弥三郎先生がNHKテレビの人気番組にレギュラーで出ていらして、毎週楽しみに観ていました。実家が三田の中の橋と言う所でしたので、慶応大学が近く、その日は池田先生が丁度中の橋に居らしてばったりお会いしました。思わずお辞儀をしてしまい、「あっ」と思ったが、仕方なく振り返ったら先生も振り帰って首をかしげていらっしゃる。私はテレビで良く知っているが先生はご存知ない。まずかったと思い其の侭帰りました。
数日後叉同じ所でお会いしてしまい、この前お辞儀したのにしない訳に行かず、お辞儀をしました。先生も覚えていらしてにこっとして下さいました。相変わらず首をかしげて。また逃げるように帰ってきました。
此れで終れば何と言う事なかったのですが数週間後、私が地下鉄銀座で三愛の階段を駆け上がったら、丁度先生が降りて来らればったり。叉お辞儀をして駆け抜けようとしたら、鳩居堂の所で肩を叩かれ振り向いたら何と池田先生が追いかけて来られ「申し訳ない、名前思い出せないのですが、貴女内の学校の生徒さんですか?」と。思わず「いいえ」と、そして恥ずかしいけれどいきさつを話しましたらお笑いになって「立ち話も何ですから、都合悪くなければお茶でも」と、近くのお店でコーヒーをご馳走に成りながら色々お話しました。先生も3回もお辞儀をしたものの、相手が思い出せなくてずうっと悩んでいらしたそうで、申し訳なくお詫び致しました。私に恥をかかせない様に、テレビの話等優しくしてくださり本当に尊敬しました。懐かしく思いだしましたので。

2007年2月24日 (土)

十八島田

暫くは老いも病も忘れたり娘時代のアルバム出でて

整理の段階で未だ娘達も誰も知らない私の娘時代のアルバムが出てきました。
恐らく再び見る機会の無かったアルバム。中に私の十八歳のお正月に母の言うまま島田を結わされた私の姿が。家が麻布十番の近くで、その頃は花街が有り髪結いさんが沢山有り、母が予約して当日着物を着せられ行きました。髪の毛が短いからとつけ毛を分からぬ様に沢山つけ、お相撲さんが使う髪づけと言う糊みたいな油をつけ手際良く昔の娘さんみたいな髪形に。鏡を見ながら別人見たいな自分、恥ずかしくてうつむいて居ました。
側で母は良く似あうと満足そうな笑顔。その後写真館で写真を撮り、家の近くを歩いて居る時「ああ!お嫁さんだ」と子供たちが珍しそうに寄って来て恥ずかしかった。
朝迄その髪型を持たせる為、布団に寝られず炬燵で腕枕。朝方矢張り寝て仕舞い、何と頑張った甲斐無く髪がぺしゃんこに潰れ、電話してお正月だというのに直しに行きました。
今考えると、目的は母の夢を叶わせ写真を撮るだけ。でもその間はすごくつつましやかな娘でした。
孫が「此れお嫁さん?時代劇みたい」と大笑い。「馬鹿な、お嫁さんの筈無いでしょう、学生なのに」昔のスマートな写真も沢山有り孫から「美人だったね」と言われすっかり若返りました。若さよもう一度。

2007年2月23日 (金)

尊敬語なのに

やたらにはお婆ちゃんと呼ぶなかれ人夫々のプライド有りぬ

私は孫も居るしお婆ちゃんと言う言葉すきなのですが、救急で病院に入院したとき、病室がなくて癌病棟に入りました。私の隣の方は同年配でお互いする事が無い時は色々話題に事欠かない程お話をして、動けぬ私をサポートしてくださり芯の強いさっぱりしたかたでした。其処へ50代の方が入り、矢張り辛い癌で気持ちは良く分かるけれど、我侭一杯に皆に用事を頼み、何とお隣の方に「お婆ちゃん」とついでに何かを頼んだら「私は貴女のお婆ちゃんでは有りません。ちゃんと○○と名前があるから名前で呼んで下さい」と、私もドキッとしたが私達はお互い名字で呼びあって居りました。其の「お婆ちゃん」が叉彼女の口から出て返事をしなく成りました。お年だが一人で民謡や踊りを教えていらっしゃるかたでした。お互い癌と言う大病を持ち頑張りながら甘えが許せ無かったのかも知れません。私もつい、よそのお子さんに「おばちゃんが」と言って仕舞います。「お婆ちゃんが」とは言えませんね。
まして他人から「お婆ちゃん」とは呼ばれたくないですね。

2007年2月22日 (木)

花言葉

秘めた意味其の花言葉知らずして受けた花鉢無心に愛でしが

一寸過去の話になるが未だ幼い学生時代、母が幼なじみと言う事で親戚付き合いをしていた家が有り、お姉さんお兄さんが居て可愛がって貰い、ギターを弾いて貰ったりといつも「お兄さん」とあまえていました。あちらが大学を出る頃「○子ちゃん僕のお嫁さんに成って」と言われ「お兄さんだから嫌だ」と答えた事があるのですが、その侭あちらは勤め、社長の娘と結婚しました。
父の葬儀の時も母の葬儀の時も顔をあわせたが其の侭、お姉さんとはその後もずっと付き合っており、遊びに行った時懐かしい話のあと、「此れおばさんの好きだった花だから大事にして」と(山査子)の小鉢を貰い、それからは母を思い大事に育てました。
昨年お姉さんから電話あり「弟の携帯の番号教えるから電話かけて上げて」と言われ、「何かあったの?」と聞いたら「○子ちゃんの事昔から好きだったのよ。待ってるから」とのこと。電話をしたら挨拶のあと「山査子どぉ?」「元気でピンクの花咲いてるわ」「友達も親しい人皆亡くなって仕舞い○子チャンに会いたい、飯位一緒に行かないか」と、私も懐かしく会いたいが、病気の事は言わず「今体調悪いから、よくなったら電話するから」と切った。
先日他の花の花言葉調べる機会があったので、何か気になり山査子も調べたら(唯一の恋)とあり、何だそうだったのかと思い出す事が沢山出てきて済まなく思って居ます。学生時代に小説等書いて居たから花言葉知って居たのかも知れません。病気の事電話だけでもしょうか迷って居ます。歳を取ると皆寂しく成るのですね。

2007年2月21日 (水)

母の思い

亡き母が愛でて育てし赤き木瓜吾が庭に住み春を告げ居り

寂しき庭に赤い木瓜の花が開き色だけは春になりました。この花は高級な木瓜では無いけれど、亡母が好きで何時も水をやり楽しんで居た花なので、思い出にと家に持ち帰り植えたものです。野生に近いのかすぐ根付き、毎年一番先に赤い花を咲かせ春を届けて呉れます。私には母の思い出がぎっしりと詰まった花以上の花なのです。そしてこの花を見る度、もう会え無いのに無性に合いたく成るのです。今晩あたり夢で会えるかも。

2007年2月20日 (火)

ゲームなら

封じ手を考え居れど後手になる病気の方が先手打ち来る

この季節矢張り一年で一番辛い。三寒四温が一番困るのだ。四温は良いけれど三寒が痛み辛いのです。気温のくるくる変わるのが一番痛い。長い間に気象に付いては低気圧ならこうする、寒さが変わりそうな時、お天気が崩れる時は関東地方に近づく前に用心して、温度調節、薬、湿布、懐炉、服装、等普通の人は考え無い事まで準備して痛みをなるべく寄せ付け無い様に考えています。でも何時も病気の方が敏感に先取りして間に合いません。だから痛い痛いと何時も一人で口には出さないが苦しんで居ます。美しい歌を作りたいが此の時期を過ごさないと病気に負けっぱなしです。まるで病気とゲームしているみたいですね。対等なら良いけれど。

2007年2月19日 (月)

諦めど

度々に出で行きし夫見送りつ病みて籠りし吾を嘆かむ

もうとおの昔に夫々の人生だからと、病気で動けぬ自分は何時も留守番と諦め、一人の時間の過ごし方を色々考えて生きて居る。然し主人がカレンダーに色々書き込み計画どうり出かけて行き一人ぽっちの日々は矢張り理屈抜きに寂しい。自分が出られるならこんなに感じ無いかも知れないが。
今日も孫は朝一の勉強で7時に出かけ主人も早く出かけたので、雨戸を開けて呉れる人もなく、電気をつけて夜みたいな一日だった。東京マラソンも雨で気の毒だったが、矢張り私はお天気女で体調が悪く、開ければ開けられないこともないが、一人の時に転んだり、筋肉がつって何か事故が有ったら却って大変なので自己防衛で身の回りの事だけしかやらない。
孫が7時頃帰ってきたので「今日人間に会ったのも話したのも貴男が始めて」と言ったら、「誰もいなかったの?雨戸も此の侭?」と驚いていた。「今から開けても仕方無いし」と夕飯を手伝って呉れました。主人は定年でも付きあいが多く留守がちなので、「どろぼーでもいいから来ないかなー」と思う事が有る。居ても別に何もして貰わないのだが、雨戸は開けてくれるので庭を見られる。

2007年2月18日 (日)

早春の寂しさ

食べる実の無くなりたれば訪れし小鳥も寄らず寂しく暮るる

春にはなったが未だ風も冷たく温もりは感じられ無い。まして一言もしゃべる相手も無く、ぼんやりいつもと変わらぬ空と庭を眺めて居ると一人ぽっちは寂しい。庭に小鳥の食べられる実が、有るうちは食べられるのが嫌で、毎日庭番みたいに眺め、小鳥に負けたと思いながらも小鳥のしぐさを楽しんでいた。今全く来なく成って、如何に小鳥の存在が私にとって得難い癒しだったか分かった。痛みが無ければ割り箸の先に蜜柑や林檎を切って差し小鳥の餌にメジロ等集まって来るのが楽しみ。何事もなく夕暮れを迎え秋とは違う寂しい日々です。

2007年2月17日 (土)

脅える眼

塵あさる痩せし野良猫人影に怯える眼悲しきものか

春とはいえ未だ風は寒い。庭に魚の生ゴミを少し肥料に埋めた。何時も野良猫が庭を荒らすので主人が猫を見ると追いかける。きょうは肥料に埋めた匂いを感じて土を掘ろうとして居たらしい。丁度私がガラス戸越しに見ていて目が合った。猫も怒られるのが分かって、凄く怯えた眼を返し止めて動けない。私は怒った事ないが何時も怒られるので怯えて居たので、食べる物がなく痩せて可哀想でそっと眼を反らせた。出来る事なら餌を上げたかったが主人が見たら激怒されそうで今度は私が怯える方になる。眼を反らして居る間にいなく成りほっとしました。
飼い猫は家でぬくぬくしていられるのに野良猫は何時もひもじく人影に怯えながら生きている。可哀想ですね。

2007年2月16日 (金)

新しき芽

あら草か名は知らねどもこぼれ実の青き芽の出ず寒ゆるめれば

春一番が吹いて春の名乗りを上げたが、ニュースでは各地に雪や風で大荒れが有り何か喜べ無い春の訪れです。
東京は変わりなく、籠り居る私同様狭い庭に、何の花か草か分からないが、小さい青い芽が出て春を感じる様に成りました。私には嬉しい事なのですが、ニュースが頭の中に残り待ちに待った春を素直に喜べ無いのは悲しいです。
以前青い芽が大きく成り何の草か花か楽しみにしていたら、見た事も無い大きな草に成ったので気持ち悪く抜いて仕舞い、後で頂いた明日葉で有る事が分かり凄く残念に思いました。うちはムクドリ始め色々小鳥が来るので糞を
して行きそれが明日葉の種だったらしいのです。今度叉出ないかなーと此の青い芽を楽しみにしています。

2007年2月15日 (木)

春先どり

寒去りて庭の枯れ葉を潜り抜け春先取りの蕗の薹出づ

今年は暖かい冬、未だかなと思って其処らしき庭の隅を見たら、「有った」と思わず声が出た。落ち葉が重なって居る間から何時もより大きな(少し開いて)蕗の薹が出ていた。探して貰ったら五つ程、「ああ春だなー」と本当に感じた。冬枯れの庭に一番先に春を告げるのが香り高い此の蕗の薹。今夜はお吸い物を作ろうと楽しみです。!!

お天気が変り今雨が降り出し低気圧に成り急に方々が痛み出しました。蕗の薹も裏切らないけれど病気も裏切らない。感心している場合じゃ無いけれど。

2007年2月14日 (水)

口実

動けぬを口実にして一日中体調よくばゲームに浸る

健康な人から見たら贅沢に見える時間の過ごし方かも知れないけれど、動けぬ病人は一日が長く寝てばかりも居られず、と言って何もしないでは居られず、人並みなのは頭と口そしてパソコンを打つ指位、短歌の勉強でもすればこんな恥ずかしい歌等載せる事無いのだが、怠け者で面白い方に向いてしまう。英語の一寸頭を使うゲームを買って時間を潰しながら体調の良い時は何時も楽しんでいます。大事に寝ていてもよくなる訳で無いから、少し痛く無理だと思っても、先に伸ばして後悔ばかりしているので、出来る時に少し無理してもやりたい事はやる事に今はしています。何時まで出来るか分からないので、変な事に頑張っています。今まではスーファミやプレステでやりたい放題でしたが筋肉が辛くなったので、パソコンが一番楽です。

2007年2月13日 (火)

早春賦

久々に庭に下り立ち冬日浴び思わず出でぬ早春賦の歌

何年ぶりかの暖かい春の様な日差しが続き、ヘルパーさんに付き添って貰い春めいた庭に下り立ちて見た。
外に出られて嬉しい。しかしさすがにまだ風は冷たく、思わず「早春賦」の歌が出てきて小声で懐かしく歌ってしまいました。
一寸早いけれど三寒四温のようなこの季節、楽しみが有っていいですね。花も間違える陽気いいですね。
寝てばかりいられ無い季節です。

2007年2月12日 (月)

立場変わりたし

介護受く身にも悲しき思い有り感謝しつつも立場変わりたし

介護4の認定を受けましたが、私は出来るだけ自分でと人一倍の努力をしながら頑張って、ヘルパーさんは週に一度お掃除とベットのシーツとカバーの交換、洗髪だけ、後は看護婦さんから注射だけ受けて居ます。本当は辛いけれど人に迷惑をかけるのが嫌で思う事を言えず何時も申し訳無いと思って居ます。
人に頼むには自分の思いどうりには行かず、矢張り痛みと同じ我慢してしまいます。病状が進んでもっとお世話にならないかと思うと長生きも悲しく成ります。出来る事なら介護する立場になりたいと何時も思います。(人のお世話が好きなので、今でもついお節介に口を出して何も出来ないのにと後悔しております。)
実は何も文句も言わず大学生の孫がお風呂と頼んだ事は介護して呉れて居ます。勉強が大変なのに、だから頑張れるのかも知れません。大切な時間をとりたくないので。

2007年2月11日 (日)

案じる

我が身をば諦め居れど友の病み手術の安否案じつつ祈る

昨年9月ご主人が急に胃癌とリンパの癌3ヶ月の余命と宣告され、お友達自身も具合が悪く検査を進められたが、ご主人の入院等それどころでなく其の侭にしていました。
幸いご主人は抗がん剤が効を奏して今は治療を受けつつ残した仕事をなさって居られる。そこでお友達が改めて病院に行き検査したら、膵臓癌ですぐ入院し手術と言う事に成り、病院から電話が有り色々話をし「此れからも相談に乗ってね、連絡するから。」と、私に何も出来ないのを承知で電話をきりました。時期が違ったので夫々別の病院に入院、私は暮れからお正月まで朝晩の点滴、気になりながら毎日連絡を待って居ます。
幸い膵臓の先端の小さな癌で手術で完全に取れるからと言われたそうですが、今の医学の先端の病院先生のおっしゃる通り、完全に良く成られてお二人早くよくなって欲しい。くしくも此処4〜5年の間に母親、兄夫婦、最愛のお姉さんも膵臓癌で亡くされ、子供さんも男の子さんばかり。何でも言える女のお友達はたった一人私だけしかいないので、どうにかして差し上げたい。どうしてこんな事が起こるのか。神様お守りして欲しいです。今は只はっきり分かるまでお祈りの毎日です。良くなられますようにお願いします。

2007年2月10日 (土)

雪景色

寒さをば厭いし身なれど冬一日雪降る景色見たく待ちおり

東京は珍しくちらほらも雪を見ない。本当は私の病気に寒さが一番辛いのだが、矢張り冬らしく一日位、庭の木や盆栽にこんもりと真っ白い雪が積もるのをみたい。灰色の空から際限無く降り続く雪景色、寒いのだが、風情が有って、ああ冬なんだなあと感激します。梅の花などに淡雪でもいいから絵になると思う。雪国の方には申し訳無いが。
子供達に雪合戦や雪だるま作りをさせて上げたい。昔の東京は冬は雪が積もるものだと思って居ました。
地球温暖化の所為だとしたら大変な問題ですね。

2007年2月 9日 (金)

音色

風の音色も春にと変わるとかはて風と音どんな音色

節分も過ぎ何か春めいて来たような気がする。水もぬるむか。本当は東京は雪も降らず、氷も張らず、霜柱も未だ見ない。と言う事は本格的な冬が来ないのだ。嬉しい様な悲しい様な。此のままと言う事は無いと思うのだが、然し春の色がとか、春の風の音とか良く使い、感覚的には何か優しく和む感じがするが、さてどんな音?どんな色?と聞かれたら何と答えていいか分からない。日本語って情緒があつて素晴らしいと思う。
「星は冷たく輝けど、なんて言うが本当に冷たいのかな?なんて子供の様に考える。こんな事考えて居ると痛みから少し開放される、単純人間だから。」

2007年2月 8日 (木)

花は裏ぎらず

娘が呉れし固き蕾のポピーをば訝りおれば見事開きぬ

娘が千葉の御花畑に行き、未だ真っ青で固い蕾のポピーを買って来て10本水切りして花瓶に挿して行ってくれました。どう見てもあまりにも固く色も青いので、「本当に咲くかしら」と、危ぶんで居ました。
いらないと言ったのに無理に置いて行ったので、若し開かなかったら嫌だなと思って居たら、翌日オレンジの綺麗な花が一本咲いて居て、凄く感動しました。次の日昼間暖かく成って赤2本、白一本、とても嬉しかった。3日目赤、白と計今7本踊る様に色々の姿態で美しい、明日は全部咲きそうです。花の生命力に驚きそして裏切らずに見事開いて、新しい蕾が蝶が羽化するときの様に皺が伸びて行くのが新鮮で見とれて居ました。
明日は何色かなと楽しみ。写真に撮って置こうと思って居ます。花の生命力と美しさを貰って頑張ります。

2007年2月 7日 (水)

間に合うかも

具体的オリンピックの近づけば諦めおれど生きたしと思う

前のオリンピックの時、もう此れが最後だと思って何か寂しい気持ちでした。何しろ動けなくとも運動を見るのは大好き。ましてオリンピックは最高の競技が見られるのだから、今度のオリンピックは縁のない事と諦めて居ました。
然し此処に来て星野監督の事が本格的に決まり前に進んで居ると、来年、若ししたら生きて見られるかも、と淡い、そして強い願望が出てきた。苦しい時は「死」がよぎるが、今はどうにか神様生かせて下さいと祈って居ます。
当面はプロ野球がオープンする日が楽しみですが、こんな事で苦しくとも生きようと意欲を持てて幸せです。寿命だから本当に夢が叶えられるかもしれませんね。

2007年2月 6日 (火)

癒し

病院で疲れし吾を救いぬは眩き程の夕日をみし時

昨日病院朝11時の予約から始まって3科巡り、車椅子で待たされ、横にもして貰ったが、痛いところだらけ。固い台では腰が痛く早く帰りたいと思い続けて居ました。
最後に麻酔科に行く2階の渡り廊下の窓から、真っ赤に煌めき正視出来ぬほどの大きな夕日を見て、思わず「綺麗」と叫んで仕舞いました。日赤は高台に有り丁度富士山の方向の丹沢系の山並みに沈みます。其の少し前の輝きに、籠り切りの私はいたく感動しました。5時頃でしょうか?違う廊下を通れば見られなかったので、「偶然」に感謝します。
麻酔科で4ヶ所痛み止めを打ち休んで帰り、口も聞けなく成り寝て仕舞いました。だけどあの美しい夕日を見た事だけは大きなプレゼントでした。

2007年2月 5日 (月)

黙せり

妊娠を告げられ華やぐ若き等に混ざりて黙す癌診我等

健康診断の一つとして医師から婦人科の癌診を受ける様に言われ嫌だが従った。
側で「おめでたですよ」と妊娠を告げられ何人か固まって喜び有って居る。本当におめでとう。でも反対側の椅子で中高年の癌診を受ける人が心配想な顔でうつむいている。隣同士の人とも話す事も無くただ黙って居る。同じ科にも明暗がくっきりと分かれて。
私は今更癌なんて気にならないが、今日は叉日赤3科巡り。最後に麻酔科で痛み止めの注射を何ヶ所かして戴く事になって居る。一時的だが楽に成るのは嬉しい。然し叉口もきけない位疲れて帰って来る事でしょう。もう一つ
対処療法で新しい事を告げられることに成って居る。未知の事だからその方が心配。

2007年2月 4日 (日)

私が笑えた

テレビ見て健康体操してる夫思わず笑うテンポも合わず

うえッ、うえッ と苦しそうな声がするので、覗いてみたら、テレビに合わせて主人が健康体操をしていた?
モデルが頭をあげ下げる時にやっと頭を上げ上げたら下げ、両手を斜めうえに上げ下げる時に腕を曲げて横に広げ音楽も無視それらしき動作を追いかけているので、真似してやっている事は間違いないが全く別の動作。170センチの大きな身体の本人が一生懸命やって居るだけ。可笑しくて笑ってしまった。合の手に「こんな事出来るか」と大きな声が入る。出来なかったら止めればいいのに。身体を反らす所は腕迄広げて首を後ろに曲げるだけ。関節の固いのは知って居たが、こんなに不器用な人とは、普段偉そうな口をきいて威張って居る人だけに余計可笑しく久しぶりに笑えました。
(今日はさすが立春東京は暖かい春の陽気です。でも身体は痛いけれど、寝ているのが勿体ないです)
昨日蒔いた節分の豆矢張りムクドリが食べたみたい、一つも無いお腹一杯に成ったかな。家の中は未だ有るが

2007年2月 3日 (土)

節分(私の豆蒔き)

来る筈の孫の来ずして買い置きし節分の豆声ひそめ蒔く

今年はお正月から点滴で、流れを変え良い年に成るように節分の豆まきを楽しみに、豆を買い求め用意して待っていた。しかし、孫から期末試験の為来られ無いと言われ、仕方無く私が蒔く事に成った。
夜は寒いので昼間に、恥ずかしいので小さな声をさらに潜め、ガラス戸を開け「鬼は外」と声とは反対に沢山庭に蒔いた。歯が悪く食べられ無いので、庭にまけば叉ムクドリが食べに来るから。
「福は内」は家の中なので大きな声を出して、少しだけ蒔いた。明日から春なのにまだまだ本当の春は遠い。(こんな小さな声で鬼は逃げたかな?)

2007年2月 2日 (金)

視聴率?

謝ってばかりのテレビもう飽きた画像ばかりが進んでいても

此処数年前からテレビの定番になったみたいに、企業、病院、教師、警察、国会議員、捏造等等書いたら枚挙にいとまが無い。普段出てこないお偉いさんが数人一斉にあたまを下げて、形ばかりの「申し訳御座居ませんでした。今後此の様な事が無い様に気を付けます。」同じ言葉を何回聞いた事か。
それなのに未だ今日も同じことばが方々のチャンネルから流れて来る。もういい加減にしてと言いたい。テレビだけは世界に誇る液晶の大型の立派なものが出来て居るが内容が謝り、殺人、人為的事故等等心悩ます事ばかりが多く、テレビに出ないミスは山ほど有る(私の脊髄損傷も)今の世の中実に残念です。せめてスポーツだけはフェアーにやって欲しいと思います。

2007年2月 1日 (木)

喜んで良いのか

この侭で春になるとは思はねど桜草咲き冬を忘るる

庭に桜草が大分咲き可愛く本当の春を思はせる。十姉妹の6羽位の群れが木々のあいだを小枝を揺らせながら何か食べている。見極めるまもなく動き回り可愛い。春の乱舞を思はせる。気温も暖かい。窓を開けて新しい空気を入れたくなる。ベット生活の私には何よりの自然のプレゼントです。此れがもうじき来る本当の春の姿。束の間の夢かも知れないが。
有り難う。暖かいと、ちぎれる様な痛みが薄れる。皆、皆、春を待って居ますね。

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