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2006年11月

2006年11月30日 (木)

落ち葉

木枯らしに吹き寄せられし落ち葉あり昔懐かし焼き芋思う

いよいよ冬の訪れ、木にかじり付いて居た木の葉が木枯らしに吹き落とされ、吹きだまりに山と積まれる。
前が公園だからなおさら多い。紅葉の美しかった桜も枯れ葉になり人間と重ねて一寸寂しいけれど、春が来れば叉新しい花が咲くのは羨ましい。話が反れたが此の枯れ葉のやまを見るとつい、昔掃き集めてたき火そして焼き芋を作った事をつい昨日の事の様に懐かしく思い出す。焼き上がる頃暖かい焼き芋の香りが漂い子供達が目を輝やかせたものだ。都会でも。

2006年11月29日 (水)

遠くにも近くにも見えし白き雲思い知らずや通り過ぎゆく

私の視界で一番親しみ易く、様々に形を変えて楽しませて呉れる空の白い雲。いつしか雲に語りかける様になった。私の願い、思いを知るか知らずか相変わらず雲は今日も何も無かったように私の視界から通り過ぎて行った。

2006年11月28日 (火)

吾を忘れて

我が身をば忘れて友の繰り言を聞きいる夜半に雨音響く

ご主人を亡くされ子供も無く、一人で強く生きて居る友から夜遅く電話が有り、何か有ったのかと聞いて居るうちに
健康でも矢張り寂しさに毎日が空しいと訴えていた。私は自分の事も侭ならない事を忘れて、どうしたら良いか共に悩み考えていたら、急に雨音が凄く落ちだして、時計を見たら12時を過ぎていた。果てしない悩み直ぐ結論は出そうもないので改めて電話する事にして切った。寂しさは人一倍味わって居る私、よく分かるが外に出る事を進めたが共に行動は取れない。只聞いてあげるのみ。気が付けばとても疲れました。

2006年11月27日 (月)

伝えたき事

孫娘らに書き残したき事多けれど涙溢れて筆の進まず

何時も親身に成って私の心迄読み取り、遠慮している事まで気を使い面倒を見て呉れる孫や娘に、字の書ける内に色々書き残したい事が沢山有り、夫々にと書き始めたが色々の思い出や今後の事まで考え出し、涙が溢れてたまらず今日は書けなくなりました。パソコンには色々の思いを書き綴っているが、私がパソコン出来なくなったら、孫に「すぐに全てを消却してほしい」と頼み約束してあるので、誰の目にも触れない。9年間の日記、詞等沢山あるが安心です。

2006年11月26日 (日)

心ありて

関わりを持たぬ人等の集いいて心癒せり文字の温もり

病をもてば誰しも辛い日々を自分の意思と関係無く過ごす事が多い。病と戦っても夫れだけで勝つ事は出来ない。
暖かい人からの心の支えが欲しい。動けない私は特に気が落ち込む。でも此のブログで見知らぬ方方の暖かいコメント、励ましの言葉を頂いてどんなに勇気付けられて生きて居られる事か、感謝意外有りません。有り難く思います。

2006年11月25日 (土)

脱帽

吾が死角葉隠れ蜜柑食べて行くムクドリ有りて思わず脱帽

毎日今年こそはと笛を持ち、蜜柑を天敵ムクドリから守って居たのに、何と葉に隠れて良く見えなかった一番熟れた蜜柑が二つ食べられてしまった。頭の良さに脱帽しました。もう数えるのは止めます。夫れにしても私は役立たず。

「父母の墓前に立ちて地下に座す父母と対話す優しき声きき
しきりに懐かしい父と母の生きている如き夢を見る。あんなに墓前で話したのに。お互い言い残した事が有るのか。

2006年11月24日 (金)

ムクドリ

数う程 無き蜜柑なり 色付きて 日々見張り居り ムクドリの群れ

今年もわが家に蜜柑がなり、幾つかなと毎日数えていたが、落ちて幾つも成らない。でも色付いて熟れて来ると可愛い。食べるのは買って唯々毎日楽しむだけ。街の中には珍しいので、なのに色ずくのを様すを度々ムクドリが見に来て、毎年食べられてしまう。袋を駆ければ人間が楽しめない。皆出かけて留守になると、必然的に毎日寝ている私の目の前なので見張り役。可愛い小鳥ならば許せるがムクドリだけは全部食べ尽くすので許せない。

2006年11月23日 (木)

心安らか

悩む事 少なくなりし 此の頃は 己が病を 受け入れし後

新しい治療に効果を求め、希望と不安に結果が出るまで悩んでいたが効果無し。これでなすべき事は全て終わったと分かった今。却って思い残す事無くさばさばとして悩む事が無くなった。視点を変えて命有る日々を重く受け止めて焦らず充実した生き方をしたいと思います。[良きアドバイスをお願いします]がんばりやとして。

2006年11月22日 (水)

亡母

目覚めれば夢の続きか亡き母を声を限りに呼び続け居り

自分の大きな声で目が覚めた。声は本当は出なかったかもしれないが。「お母さん! お母さん!」と、声が出なくなる迄。微かに思えば今起きたのは、離れて行って仕舞うお母さんを追いかけ、一生懸命呼び続けて居るところだった。夢と気が付き急に疲れが出て、何とも言えない空しさに襲われた。
この頃亡き母の夢をよく見る。お母さんに逢いたい。私も母なのに。

Okaasan_1

身体も、声も、肝っ玉も
全てが大きな人でした

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2006年11月21日 (火)

足音

氷雨降る夜道を駆け来る靴の音我待ち居れば孫帰り来る

真冬並の寒い雨、そろそろ孫が帰って来る時間、さぞ寒かろうと思っていたら大股に駆けて来る足音、聞き慣れたあの音は孫に違いないとコーヒーのスイッチを入れたら「ただ今」と飛び込んで来た孫、「冷たい雨に濡れちゃった」コーヒーを入れているのに気が付いて「ばば有り難う、良く分かったね」と驚いていた。

2006年11月20日 (月)

悔い

諍いし後の心の寂しさよ砂漠の中に置きされし如

ほんの一寸の事だけど、つい逆らいたくて一言余計な事を言って仕舞い無視されて、結局言いたい事は伝わらず
只寂しさだけが残り、一人ぽっち。何も言わなければ良かったと後悔しています。

2006年11月19日 (日)

様変わり

三月前買いて食みにし評判の大福屋今更地となりぬ

美味しい大福と草もちが有名で、私もだけどわざわざ遠くから買いに来る程のお店、つい最近買って食べたばかりなのに、昨日買いに行って貰ったら探しても無く更地に成っていたと言う。元々老夫婦と家族で代々続けていたお店、数にも限りあり時間によっては買えない事もあった。もしかしたら跡継ぎが居なくなったのか、叉は地価があがって小売り店は何処かに吸収されたのか分からないが、馴染みのお店が無くなる事は寂しい。都会はこんな事が多い。

2006年11月18日 (土)

何が出来るか

諦めの日々送りしがブログにて病持ちつつ本書く人知る

毎日こんな生活で良いのかと、先の希望も無い今、後づさりはしなくとも前向きには物事を考えられ無くて、何か物足りない心の消化不良を起こして居ました。でも有る方のブログで、立派にご本を書かれて居るのを読ませて頂き、病気の所為にしてはいけない、生き甲斐は何か、何かが有るかもと思いました。

2006年11月17日 (金)

生き甲斐

生き甲斐は自問自答でパソコンと答えし後に募る空しさ

人並みにやりたい事は沢山有るけれど、思いどうりに動けぬ体を持て余しながら、出来る限りと身の回りの事を失敗しつつも時間をかけ頑張って居ますが、さて生き甲斐と考えた時、毎日向かうパソコンのみ。此れで人生終わるのかと思うと何か寂しく、空しい。お世話になった方々にご恩返しも出来ぬまま甘えっぱなしで、口だけ達者だけど。

2006年11月16日 (木)

冬の花火

買い置きし花火夏をば待てずして冬寒の夜に閃光放てり

どうしても花火がやりたくて、やっと買って貰った花火。でも今年の夏は天候が悪く、何時の間にか夏が過ぎ、其のまま忘れていたが片づけ物をしていて出てきた。若くないのであんまり先に伸ばしたくなくて、ましてや来年の夏迄待つのはしんどい、思いきって完全武装?して孫と庭で花火を楽しんだ?。暗いなか、寒さの中、夏より美しい
閃光と星と色とりどりの明かりが飛び交い、生まれて始めての冬の花火を経験しました。(馬鹿みたいと言われながら)

2006年11月15日 (水)

夜の帳

訳もなく人の恋しき夜半なりき風音さえもなお煽りくる

眠れぬ侭に風音を聞いていたら何故か人が恋しく思われこんな時間に書いてしまいました。寂しさは常と日々過ごして居りますが、夜の帳の所為でしょうか。

2006年11月14日 (火)

便り

旅先の友ら優しき寄せ書きを送り呉れしが嬉しくも寂し

今年最後の旅とグループのお友達が三人紅葉狩りに京都に来ましたと、参加出来ない私に夫々の思いを込めて寄せ書きをして送って呉れました。暖かい文面に昔行った京都を思い出し、懐かしく嬉しく感謝しました。でも・・・
その反面寂しさも感じました。何時になっても叶わぬ夢。

2006年11月13日 (月)

はや冬?

何時知らに季は移ろいて夜のしじま微かに聞こゆ焼き芋ーの声

暗くなるのも早い。そして静かになり寒さが家の中迄伝わる。暖かい物が欲しくなる季節になりました。
遠くからもう焼き芋売りの声が流れて来ました。懐かしさと、冬の訪れを複雑な気持ちで感じました。
ストーブの前で買いたての、ほかほかの焼き芋を子供達と食べた頃が懐かしいです。あの声で買いたくなるけれど
今は一人。

2006年11月12日 (日)

温もり

秋日差す時間(とき)の短きわが部屋は寒々と一人誰か待ち居る

それで無くても秋の日は短いのに、間取りの所為で私の部屋は早く日差しが無くなる。寒々とした部屋に一人ぽっちでいるとなお寒い。誰か来ないかなーと待っている。不思議と人間が集まると暖かく感じる。人の温もりでしょうか。

2006年11月11日 (土)

耐ゆる

降りしきる雨の流れに撓いつつ小き花もつあら草は耐ゆ

何の花か分かりませんが、激しい雨の流れに今にも押し流されそうになりながら、小さい花を必死に守りながら流されまいとしがみついて耐えて居る。まるで母親が子供の命を守る様に思えてなりませんでした。
こんな小さい命でも大切に頑張っているのを見て、私も精いっぱい頑張らなければと思いました。

2006年11月10日 (金)

祈り

保証無き脊髄最後の治療なり効果祈りつ台上に臥す

検査の結果脊髄損傷が酷く手の下し様が有りません。此の侭痛み、苦しみに耐えて死ぬのは嫌。最後にワンポイントだけど、腰だけの痛みに効果があると言う新しい「高周波熱凝固法」と言う新しい硬膜外に電気をながし焼けどさせ神経に(壁)を作り痛みを遮断する方法を受ける事になりました。でもそう簡単な事でなく高度な技術を要する治療厳しい検査。「結果効果はないと思って下さい」とデメリットの事も伺い、やって見なければ分から無い、せめて数パーセントの望みにかけて、先生も「やって見ましょう」とまず右だけ、今日は残りの左。此れが終わればもう何も無い。脊髄ブロックよりはるかに痛い。でも最後の望みをかけて受けました。今日は私の誕生日。神様からのプレゼントを頂きたい。皆に心配かけ世話を受けながら神様に生かせられて今日迄頑張って来たのですから。未だ効果は直ぐには分からないがお祈りしています。駄目だったら叉悩みも増えるでしょうが、違う形で頑張ります。こんなに医学が進んで居るのに何も方法がないなんて悲しいです。心だけは愉しく生きたいです。

2006年11月 9日 (木)

ただ今も無く

秋深く寒き夜道を帰り来し孫は声無く首竦め居り

秋も深まれば夜遅くは寒い。大学と塾のダブルスクールから帰って来る孫、必ず私の所へただ今と声を掛けるのに、余程寒かったのか声も掛けずにはいって来た。未だ襟の中に首を埋めて、やおら「ただ今ーすごく寒かったあー」と・・・「家はいいなー」なんて。これから本番の冬の寒さが訪れる。家から出る事の無い私にも寒さはこたえる。特に痛みに。

2006年11月 8日 (水)

強風

強き風吹けば木の葉も旅をするいずくの欅か我が庭に着く

もうじき木枯らしも吹くと言う。昨日は広い範囲で強風が吹き荒れて、北海道で竜巻が起こり大きな被害が出て胸が痛い思いです。此方も風が強く何処からか木の葉が飛び交って居ました。此の近くに無いはずの欅の枯れ葉がひらひらと、丁度私の目の前に落ちました。あー  木の葉も旅をしているのだなあと思いました。(私も旅をしたいなあ)

2006年11月 7日 (火)

哀れ

晩秋(おそあき)の日差し強ければサルビアは未だも蕾持ちて居るなり

やはり秋の日差しは強いのですね。夏中咲いてくれたサルビアが、未だ頑張って、見たら蕾を沢山つけていました。さすがにもう開く事は無いと思うと何か哀れに思えて、せめて肥料をあげて欲しいと頼みました。

2006年11月 6日 (月)

音の凶器

アベマリア心静めんと聴き居れば空からへリの轟音落ちる

気候の所為か体調が戻らず、好きなアベマリアの曲を静かに聴いて居たのに、突然の轟音にかきみだされた。へリにも時間的に理由はあるのだろうけれど、こちらは予告無しに凶器が降って来た感じ。基地のそばにも病人が沢山居るでしょうに、一番静かな空から毎日音の凶器にさらされているのはたまらないと思う。此方はたかがへリだが。お気の毒です。平和をお祈りします。

2006年11月 5日 (日)

矛盾

身辺の整理しつつも新しき世界を求む欲深き我

体調に自信がなくなり関わりをも残さぬ様にと一生懸命整理しながら、その反面抱え込めない位の新しい物を取り込んで居ます。皆大事な物ばかり。叉手放す日は悲しむだろうな。

2006年11月 4日 (土)

頑張れず

意思有れど体力無きか生きる糧今日も昨日残り果たせず

季節の変わり目か弱音吐かずに頑張って居ますが、頑張った分だけ体調を崩し、自分の最低の生きて行く事にだけ精いっぱい、物事を先に伸ばすのは嫌いだけれど病気には勝てない、昨日の残りまだ済ませずに叉明日に繰り越し、勿論今日の分も、仕事ではないから威張れたものでは無いけれど体調整えて叉頑張ります。

2006年11月 3日 (金)

可愛いい現行犯

色づきしピラカンサをば愛で居れば見知らぬ小鳥一つ食み去る

毎年色づくのを楽しみにして、やっと色づいたと思ったら必ずムクドリに、一日にして丸坊主にされてしまう。今年もやられるか分からないが、今の内にと眺めていたら何と可愛い小鳥が数羽小さい口でやっと一つ挟んで逃げて行った。暫くして叉来て一つ銜えて去った。たいした事無いと見逃してあげた、其の一つ銜えて行くさまが可愛くて。

2006年11月 2日 (木)

静寂

暗闇の中に潜みし静寂は内に入りたる我を閉じこむ

孤独になれた私ですが夜の静寂は知らない内に引き込む、魔力みたいな力があり、中々出られない。自分で入り込んで居るのでしょうが。余り好ましい考えは浮かばないが、生き方を真剣に考える。仕舞いには喜劇役者の様に自分が思える。心迄病まないように努めていますが。

2006年11月 1日 (水)

茜雲

アルプスの山並みに似し茜雲思い出の湧き暫し眺むる

病院の帰りが遅くなり、車を降りたら秋ならではの美しい茜雲、長く連なりて南アルプスの山並みにそっくり。
未だ始めの頃、治ると信じて山梨の湯山温泉病院で一生懸命リハビリーに励んで居た頃、家から一人離れて寂しくて、毎日富士山と美しく連なる南アルプスの山並みを眺め、「良くなったらきっとあの山へ登って見よう」と希望を持って励んで居ました。希望通りにはいきませんでしたが、毎日慰め、励ましてくれた山並、計らずも今こんな形であの山並みを目の当たりにし、懐かしく叉複雑な思いで去りがたく、薄れ行くまで眺めて居ました。

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